時々眺める富士山

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2008年7月1日
今朝は起きられなかった(闘病記から)
朝よく寝られたというか、遅くまで起きられなかった。
トイレに起きる必要がなくなっていることもある。
9時近くまで寝てしまった。
起床時、大腿後部の張りは目立つが、昨日寝る時まで痛かった肩の痛みは消えている。
昨夜寝るときに、翌朝の肩の痛み復活を気にしていたのだが、それは杞憂に終わった。
昨日から突然痛くなった、右側の肋骨周りは、今朝も痛い。

2008年7月1日
右わき腹痛がひどい(闘病記から)
右わき腹の肋骨部分の痛みがひどい。別にどこかにぶつけたわけではない。
それとも寝ているうちにどこかにぶつけたのだろうか。
打ち身の痛みに似た痛さだが、悪い兆候でなければよいが。
右肩に若干の痛みがあるが、胃の痛みは弱い。
不整脈も特に感じない。

2008年7月2日
右わき腹の痛みが取れない(闘病記から)
4時に起床。
右わき腹の痛みが引き続きある。
その他の場所は特に痛くない。
不整脈もない。
トイレが近い症状は全くなくなっているが、これはこれで心配でもある。

2008年7月3日
脇腹の痛みが続いている(闘病記から)
右脇腹の鈍痛が続いている。
かすかに軽くなっているような気もするが、触ると感じる痛みは、ほとんど変わらない。触って極めて痛い部分が極限的である。痛さが発してる場所が分かる。
その場所を外から見ても異変はわからない。
その他に大きな異常は感じない。
今日もよく寝られた。起床時の尿の量は、一時より減っている。途中で起きる必要はない。

2008年7月3日
1日不整脈は気にならなかった(闘病記から)
右わき腹の痛みはずっと続いている。
打ち身のような痛みだ。肋骨が軽い骨折をしている疑いがある。
骨粗鬆症の副作用が現れ始めたのか?
今日1日で一番気になったのは右わき腹の痛み。
このような痛みがあると、他の不具合は気にならない。
不整脈は1日感じなかった

2008年7月3日
脇腹の痛みが治らない(闘病記から)
右わき腹の痛みが治らない。
一番下の肋骨を押すとすごく痛い。
その周辺も痛い。
そのほかの異常は、これに比べれば微々たるものに感じる。

2008年7月4日
右わき腹が痛い(闘病記から)
引き続き右わき腹が痛い。
右側を下にして寝のはつらい。
そのため、寝返りを打つと痛い。
今朝は、右の手首も痛い。
新たな局面に入ったのか?

2008年7月5日
第58回七夕祭り その1
今日は朝から曇り空で、富士山は1日中見えなかった。
当地では昨日から七夕祭りを行っている、昨日のNHKの昼のニュースでは紹介されなかったような気がする。
昼過ぎに出かけてみたが、かなり込みあっていた。
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旧郵便局前のメインゲート。市の産業の一翼を担う日産車体があり、日産自動車グループがゲート制作に協力しているようだ。
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今年も自分の年齢と同じ数字、58回を見ることができる。
旧国道1号線のメインの竹飾りは、時事の話題を扱っているもの、北京五輪、プロ野球、湘南ベルマーレなどもあるが、日本の文化を感じさせるものを意識しているようで、浮世絵などが多い。

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竹飾りは、通りに面した店舗とは異なる協力者が提供しているものがかなりある。空間が透けてしまうのを防ぐ努力だ。
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平塚を代表する企業の一つが商店の竹飾りが空いてしまう部分を埋めている例を、夜景で示す。

2008年7月5日
第58回七夕祭り その2
昼過ぎの旧国道1号は人で埋まっていた。
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これは滝口カバン店の竹飾りで、「ぽんぽこたぬきの七夕まつり」と題するものだ。
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これは、反対側から見た滝口カバン店の竹飾りの夜景
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平田人形店の竹飾り
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これは平田人形店の竹飾りの夜景

2008年7月5日
第58回七夕祭り その3
パールロードは雰囲気を統一した飾りつけとなっていた。
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竹飾りの大きさが統一され、浮世絵風のテーマのものが多かった。
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これはパールロードの夜景

お化け屋敷は、旧国道1号と、パールロードの2か所にあった。
居酒屋が昼から営業していると大声で勧誘していた。
商店街も、通常の扱い品目とは異なるものを並べて客を集めていた。
東口北側に、昼間から長い行列ができていた。都まんじゅうを求める客のようだった。

出店に人が集まるのは分かるが、意外なところが低年齢層の客でごった返していた。コンビニエンスストアである。入り慣れたところが一番なのだろう。
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これは小学校や各種学校関係の竹飾り。わが母校の名前を探したがなかった。
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これは金田小学校の竹飾り

東京は熱帯夜で寝苦しいようだが、当地は夜になると気温が下がってきた。
旧国道1号の夜景も、涼しく見られるようになってきた。
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周囲のゴミは相当のものだ。植え込みや、プランターの花などもゴミや吸い殻、紙コップで荒らされてしまう。人出は相当なものだが、ゴミの量がそれに見合ったものなのかどうか疑問だ。祭りなのだから、余計なゴミが出ても当然なのだろうか?これから深夜の大掃除が始まる。

2008年7月5日
脇腹はまだ痛い(闘病記から)
右脇腹の痛みが続いている。
触るとかなり痛い。
痛みが治まっているとは感じない。
ただ、ひどくなる傾向もない。
夜に入って若干の不整脈を感じた。
東京はこの夏初めての真夏日。
午前0時になっても25.5度ある。
本格的な暑さの到来だ。

2008年7月5日
脇腹の痛みがわずかに軽くなったような気がする(闘病記から)
土曜日の日課の庭の手入れと道路清掃を行った。
薔薇のとげで手をずいぶん傷つけてしまった。
脇腹の痛みはわずかに軽くなったような気がする。
地元の七夕祭りに出かけた。日中は暑くて汗をずいぶんかいたが、夜の見物時は涼しくなってきた。家に戻ったら、家の中はかなり涼しく感じた。

2008年7月6日
七夕祭り(守常ブログから)
当地では昨日から七夕祭りが催されている。
空いているうちにと、昨日家内と出かけてきた。

今年の飾りつけは、色合いが良いと思う。

息子が撮影した写真を添える。
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これが西側のメインゲート。
第58回ということだが、これは息子の年齢と同じだ。息子が生まれたころから始まったことになる。
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少し進んだあたりの飾りつけ。
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これがカバン屋さんの飾りつけ。
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これが人形屋さんの飾りつけ。
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パールロードは、雰囲気を統一した飾り付けとなっていた。

2008年7月6日
脇右脇腹の痛みはだいぶ良くなった(闘病記から)
昨日は七夕で電車が込み合っていたため、今日の早朝の電車で東京に戻った。
少し出だしが遅かったため、新宿ライナーに乗れないはずだったが、電車が遅れており、乗れた。5時台の電車なのに、先頭車乗車口付近は体操着を着た中学生でいっぱいだった。
ただ、座れた。
その後はのんびりしたたが、少し頭痛があった。
今日は暑くなったが、昼寝もできた。
右脇腹の痛みは、かなり良くなってきた。

2008年7月7日
右後輪のパンク(闘病記から)
右脇腹の痛みは、最も痛かった時と比べればかなり軽くなったが、まだまだ痛い。
今朝4時に出かけたとき、いつもより車の発進が重く感じた。
スピードが出てしまうと感じないのだが、低速では振動も感じた。
そのまま1時間走行して職場に到着した時は大雨。
気にせず下車。
帰りに乗車した際も別に気にならなかった。
しかし、発進時に少し重さを感じた。
その後、高速などを走ってしまったが、家のそばにくるといかにもおかしい。
家の付近は道が狭いので、そのまま車庫に入れてしまった。
右後輪がパンクしてぺしゃんことなっている。
運悪く月曜日はディーラーは休日だ。
生まれて初めてタイヤ交換をした。
もう1往復は緊急タイヤで走行することになる。

2008年7月8日
右脇腹はまだ痛い(闘病記から)
4時に起床して出勤。
今日は右後輪に予備タイヤを履いての運転。
雨は降っていないが、どんよりとした曇り空だ。
右脇腹の痛みは少し良くなったような気がしていたが、まだかなり痛い。
大腿後部の張りは、これに比べると問題にするほどではない。
胃も気にはならないのだが。

2008年7月8日
全体的に少しずつ良くなっていると信じよう(闘病記から)
右脇腹の痛みはほんの少し良くなっているように感じる。
軽い不整脈があるが、これもごく軽いもの。
筋肉痛も、時々気になる程度。

2008年7月9日
脇腹はまだ痛い(闘病記から)
よく寝た。
右脇腹はまだ痛く、右側を下にして寝ることはできない。
起床時、大腿後部の疲れが目だつ。
トイレに行く回数はめっきり減った。

2008年7月9日
食欲が落ちている(闘病記から)
ここのところ、食欲が落ちている。というより、食べられる量が減っている。
すぐに満腹感が得られる。これはダイエット上好ましいことなので、ほかに悪いところがなければよいのだが。
頻尿傾向もなくなり、喉の渇き感が減っているので、水分摂取量も減っているように感じる。
不整脈は1日感じなかった。
筋肉の疲れ感はいつもと同程度。

2008年7月10日
右脇腹はまだ痛い(闘病記から)
脇腹の痛みが、骨に起因するものであればよいと思えるようなってきた
。 内臓から来ている痛みだと、これだけ長続きするものだと、何かの病変があるはずだ。
朝方、大腿後部の疲れが強かったが、起きたら軽くなってきている。
今朝は、左手首に関節痛がある。

2008年7月10日
特に異常なし(闘病記から)
右脇腹の痛みは続いているが、ひどくはなっていない。
ほんのわずかずつ良くなっていると信じたい。

2008年7月11日
右脇腹の痛みは少し良くなっている(闘病記から)
右脇腹の痛みは少し良くなっているようだ。
右側を下にして寝ても、痛みを感じる程度で、痛くていたたまれないような状態ではなくなっている。
起床時、大腿後部の疲れ感はあるが、肩のキリキリする痛みは感じない。
ここのところ、不整脈は気にならなくなっている。

2008年7月12日
右脇腹はまだ痛い(闘病記から)
ゆっくり寝た。ここは冷房なしで涼しい。
外の日差しは相当のものだ。
右脇腹はまだ痛い。腰をかがめると腰も痛くなる。

2008年7月12日
早朝でないと開いた姿が見られないスイレン
今日は早朝から強い日差しだ。西の空は曇っており、富士山は見えない。
週末、久しぶりに晴れたので、蒲団を干した。
スイレン鉢ではスイレンが咲いていたが、道路清掃を行ってから10時半に戻ってみたら、もう花はほとんど閉じかけていた。
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先に撮影しておけばよかったと後悔した。蚊の発生を抑えるため、頻繁に水替えして水温を下げてしまうと、花つきが悪くなる。そのため、1週間に一花見られるだけだ。
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庭のプランターでは、強い日差しを受けて、ペチュニアと松葉ボタンの色が鮮やかだ。
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2008年7月12日
暑くなってきた(守常ブログから)
関東地方の梅雨明け宣言はまだだが、今日は朝から日差しが強く、気温が上昇している。いよいよ本格的な暑い季節の到来だ。暑い夏は、体力が衰えた身には堪える。
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2008年7月12日
久しぶりの週末に望む夕焼けの中の富士山
強い日差しも午後から雲が広がり、その雲も次第に黒い色に変わった。
4時過ぎには音を立てて大粒の雨が落ちてきた。ただし、長くは続かないにわか雨で終わった。雨が上がると、日差しはなく気温が下がり、外の作業には都合の良い状態となったので、夕方の庭の手入れと道路掃除を行った。
6時半前に作業を終えて戻ると、西の空に、日没の中で富士山が薄く浮き上がって見えていた。
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この時期では、太陽は丹沢山系に沈んでいく。
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外でこれらの写真を撮影していたら、時々雨が落ちてきたが、西の空の雲は薄くなってきた。
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2008年7月13日
汗をかいた(闘病記から)
暑くなってきた。
その中で、外で作業をして汗をかいた。
運動量はそれほどでもなかったが、少し心臓に負担がかかった感じがする。

2008年7月13日
右脇腹は触らなければ痛くないような気がする(闘病記から)
右側の肋骨の痛みはまだあるが、触らなければそれほどでもない。
その他の異常はあまりないが、今朝は左目が疲れている。

2008年7月13日
汗をかいた(闘病記から)
暑くなってきた。
体調に注意しなければと思う。
タイヤも眼鏡も直った。
今朝はいつものように4時に出勤。
筋肉痛や不整脈はない。
ただ、右こめかみに、いつもは感じない違和感がある。
軽い頭痛だ。
暑いからかもしれない。

2008年7月15日
右脇腹はまだ痛い(闘病記から)
昨日少し感じた不整脈は、今朝は感じない。
右脇腹の痛みはあるが、触らないとそれほどでもない。
ただ、全体的に体の内側の内臓部分が痛いように感じる。
昨日右手首が痛い感じがしたが、今朝も少し痛い。

2008年7月15日
午後に不整脈が(闘病記から)
今日は昼の服薬を忘れて、夕食時となってしまった。
痛みはあまり気にならなかった。
右脇腹の痛みはかなり良くなった。
その一方で、午後から不整脈を感じるようになった。

2008年7月16日
右脇腹の痛みがよくなってきている(闘病記から)
起床時、右脇腹の痛みがだいぶ良くなっているのに気づく。
不整脈も消えている。
今日はどんよりとした曇り空だ。

2008年7月16日
明日は通院日(闘病記から)
この1カ月でどうなっているのかわかるかもしれない。

2008年7月17日
定期通院結果(闘病記から)
プレドニンをまた1mg減量できた。
胃の薬をもう1種類飲むことになった。
ひん尿はプレドニンの副作用の一つと知った。
皮膚がかゆくなるのも副作用の一つのようだ。
白血球が増加するのもあることだという。

2008年7月18日
ホテルでゆっくりできた(闘病記から)
昨日からホテルに滞在し、リフレッシュできた。
朝は8時頃までゆっくり寝た。
右側の肋骨部分の痛みはだいぶ良くなってきた。
今日から新しい胃薬の服用を始めた。
筋肉痛もない。

2008年7月19日
飛行機はあまり寝られなかった(闘病記から)
やはりエコノミーの狭い場所ではなかなか寝られない。
ただ、隣の乗客が、ほとんど身動きしないでずっと座っている静かな男で助かった。
サンフランシスコは気温が20度以下でかなり涼しい。
ただし、日差しは強い。
薬をいつ飲むかが問題だ。
こちらは午後1時半だが、日本時間では午前5時半。
そろそろ朝の薬を飲んでもよい頃か?

2008年7月19日
薬の服用が不規則になりがちだが(闘病記から)
時差のあるところに来ているので、薬の服用が不規則になりがちだが、今のところ変わりはない。
日本では夕食時だが、こちらはもうすぐ夜明けだ。

2008年7月19日
深夜のアンカレッジに到着
サンフランシスコからアンカレッジに向かった。サンフランシスコは東京に比べるとかなり涼しく、気温は20度以下で、東京の花見時の気候のようだった。暗くなったサンフランシスコを発って、機体の外は暗くなったが、アラスカに近づくと、だんだん辺りが明るさを増してきた。
午後11時過ぎというのにほんのり明るく、雪が残っている山が見える。
ただ、光量は少ないので、ぼやけた写真しか撮れなかった。
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いったん暗くなった地平線も、日没状態がずっと続いていた。
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午前0時ごろ、かなり暗くなった中に、地上の光が見えてきた。そこがアンカレッジ空港だった。気温は12、3度だろうか。かなり涼しい。
アメリカも夏休みで、この時間だが子供連れの観光客が多い。

2008年7月19日
朝眠かった(闘病記から)
昨日(今日の早朝)は寝たのが午前4時ごろになってしまったため、朝眠かった。
8時に起きたが、それまでよく寝られた。通常の時差ボケとは異なる状態となっている。
薬はこちらの時間に合わせて飲んだ。パンとチョコレートの朝食をとった。
眠いこと以外に異常はない。
昨日右側の肋骨がまた痛くなったように感じたが、今日はまた良くなっている。

2008年7月20日
朝眠かった(守常ブログから)
昨日は医者に診てもらった。
咳が少し出るのと、肩から腕の中ほどまでが痛くなったからだ。
医者は、張り薬より塗り薬の方が良いだろうと、塗り薬を出してくれた。

2008年7月20日
アンカレッジの町を彩るきれいな花
アンカレッジは通りがきれいな花で飾られているところが多い。また、人通りも少ないことから、街がきれいに保たれている。ただし中心部で、道路を全面封鎖して工事が行われているところがあった。日本の春の気候であるため、日本の春を思い起こさせる。昨夜(早朝)は飛行場で、きれいに咲いているパンジーを見た。
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道路が花で縁取りされているところを多く見かける。
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これはレストランのハンギングバスケット。ホクシャだろう。思わず中に入りたくなる。
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通りにも丸く手入れされた花が並んで下がっているところがある。
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さまざまな色の花が集められていて目を楽しませてくれるところもある。
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宿泊場所の前も金魚草を中心に、さまざまな色の花が彩りを添えていた。
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今日は、午前中は曇っていて涼しかったが(日本の3月頃の気候)、午後から晴れて暑くなってきた。上の花は、まぶしい夕方の西日を受けていたものを撮影した。コンパクトカメラの液晶画面は全く見えずに勘取りをしたものだ。
今日初めて地上のアンカレッジの午後を経験したが、夕方が実に長い。これはシアトルやバンクーバーの夕方の長さとも一線を画すものだ。いずれの街も夏至に近い頃に滞在したことがあるが、もう少し正常な時間感覚を持てたような気がした。滞在先の部屋は西日が真正面から当たる部屋で、午後8時を過ぎても20度上の方角から強い西日が差している。日本の午後4時ごろの感じが延々と続いている。午後10時ごろまでこの感じで行くのだろう。
町は夏の観光客が多いのだが、観光客は歩いている人が多い。地元の人は車を使っている。滞在先周辺は日中は駐車車両が見当たらないのに、午後8時過ぎから駐車車両が目立ってきた。今朝は3時にはまだ車が駐車しており、人通りも見られたが、6時には車はなくなっていた。地元の人が道路を駐車場代わりにしているのか、レクレーションなのか、その両方だろう。

2008年7月20日
久しぶりにたくさん歩いた(闘病記から)
10kmは歩いた。
少し歩きすぎたかもしれない。
右わき腹の痛みは小さくなっている。
不整脈はこのところ感じていない。
午前1時から4時の間しか暗くならないところにいる。
時差ボケはとれていない。

2008年7月21日
アンカレッジの日没
この時期のアンカレッジの日没は午後11時過ぎであった。
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昨日は地平線近くに雲があり、日没の前に一旦かなり暗くなった。
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これが日没後の状態で、まだ夕焼けの状態であるが、その後灰色の薄暮状態になり、その状態が暗くなりながら2時間ほど続いた。
あたりがすっかり暗くなっているのは午前1時から4時の間の3時間であった。滞在先の前に駐車している車には、午前4時前に若い男女が戻ってきて、1台、また1台と車が出て行った。そして、午前4時過ぎには駐車車両が姿を消すことが分かった。
イスタンブールの滞在先でも、ほぼ同じ時間帯に同じことが起こっていた。ただし、イスタンブールでは、道にびっしりと縦列駐車した車は、黒服たちが管理していた。ここは全体が閑散としているため、そのようなことをする必要は全くない。
滞在先から気温を表示している電光掲示板が見える。朝方は50度代前半だったから、摂氏10度から12度程度だろう。日中でも65度ぐらいにしかならないから摂氏18度程度ということになる。
今日は朝から雲が多く、一時小雨がぱらついたがどうやら1日天気は持った。ただ、じっとしているとかなり寒い。一般的な日本人にとっては相当寒いが、こちらでは半袖の服を着ている人から、重装備の防寒具の人まで様々だ。
朝方見たペチュニアを主体としたボリュームのあるハンギングバスケットを見た。
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明日の天気予報は雨だそうだ。ただ、午後9時過ぎ現在、外を歩いている人は傘をさしており、かなりしっかりとした雨が降っている。ただ、西の空は明るい。
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2008年7月21日
ゆっくりと休んだ(闘病記から)
昨日は朝は華氏55度(摂氏12度)華氏60度(摂氏15-17度)ぐらいのところにいた。
午前中はそれほどでもなかったが、午後になって寒さがこたえてきたので、夕方の活動は抑えて、滞在先で温まって寝た。
そのため、今朝は体調は回復している。
今日は早朝から鉄道の旅だ。ただ、日本での朝の通勤時間に比べれば遅い時間だ。
2008年7月22日
アラスカ鉄道の旅
アラスカ鉄道に乗車した。アンカレッジからスワード行きで、朝6時45分にアンカレッジを出発する。アラスカ鉄道のアンカレッジ駅はヒルトンホテルの真下に位置する。
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駅舎の前に、B型タンク車が飾ってあった。
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1の数字があることから、最初の牽引車であったのだろうか?
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これが駅舎。撮影しようとしていたら、直前に団体客を乗せた大型バスが到着し、前に駐車してしまったので、上半分の撮影となった。3階建てである。
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これが牽引車。10両程度の編成の車両をディーゼル機関車が牽引する。
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客車が前からA、B、CとFまであったようだ。食堂車とカフェテリア、土産物販売の車両が客車の前につながれていた。
海岸沿いや山の谷間を縫って走っていくが、進行速度は遅く、体感速度は50から60km/hであった。
1車両20列で左右に2席ずつ、1車両80名程度の収容人数だ。
乗客数と比較して乗務員の数が多い。日本の新幹線は、16両編成でも乗務員数は数人だろう。アラスカ鉄道は各客車に専属の男性と女性の乗務員がいるようだった。車内アナウンスも、編成車両全体向けのものとは別に、各客車専用のものがあった。車両にある電話機のようなマイクで、アナウンスを行っていた。
出発直後は食堂車が朝食で込み合うため、日本からの団体客には、個別に食堂に向かう時期を指定するアナウンスが流れていた。乗務員数は多いが、乗車時にデッキで乗車券の確認を行っているため、検札は行わない。なお、乗車時には、指定車両の入口からしか入れない。
多数の乗務員雇用を確保した上で、車内の安全性を高めていると思われた。その分が運賃に加算されるが、1日1便だけで、ほぼ満席になるこの状態が維持できれば問題ないのだろう。

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列車は湖や川や谷間を縫って進行する。外気温は12度ぐらいで、山のくぼみには残雪がある。
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これらの写真は窓が開いたデッキからの撮影で、ガラスの反射はないが、風と振動でかなり手ブレがある。
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この部分が列車撮影の最良スポットのようだったが、車内からの撮影でガラスの反射で列車が見ずらい。雲がなければ後方の山の姿が素晴らしかったはずだ。あいにくと、小雨交じりの天候だった。
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何箇所かある氷河の観光スポットでは進行速度が20km/hぐらいまで下がる。それでも、氷河と列車の間にある木が途切れたところで氷河を撮影するのは、シャッターの遅れの大きいコンパクトデジカメでは結構難しかった。
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氷河は文字通り氷が川のように流れているところで、残雪とは異なることが分かる。
これが、鉄道からもっとも近くに見えるスペンサー氷河らしい。
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これがケナイ湖で、天気が良いとターコイズブルーに見えるという。
4時間半ほどでスワードに到着。スワードとは、ロシアから1967年にアラスカを購入する際に、その交渉に当たった国務長官の名前という。人口2630人の小さな町だ。

2008年7月22日
薬の服用が不規則になる(闘病記から)
時差や旅行の関係で、薬の服用が不規則になりがちだが、プレドニンの総量は変わっていないはずだ。上腕に少し筋肉痛に近い痛みを感じるが、これは寒さのせいもあると思う。
不整脈や頭痛などはない。普段と比較して歩いている量は多いが、足の痛みはない。
2008年7月22日
ホテルでゆっくりとした(闘病記から)
昨日は、外は雨で寒いのでホテルでゆっくりとした。
ということは寝ていた。
夜は寝られなくなったので午前3時ごろ寝たが、朝6時に起きた。
これから風呂に入る。
特に異常はない。

2008年7月23日
飛行機でよく寝られた(闘病記から)
今日は機中泊だったが、よく寝られた。
その分疲れていたのだろう。
消音ヘッドホンも役立ったかもしれない。
ただ、今少し耳が痛いような気もする。
少し筋肉痛があるかも。朝の薬を飲んだら治るだろう。

2008年7月24日
今日もよく歩いた(闘病記から)
足が疲れたが、その他に異常はない。
ここのところ、不整脈を忘れている。
今日は機中泊だった割には疲れが少ない。

2008年7月24日
朝早く目が覚めた(闘病記から)
前滞在地とは3時間時差があり、逆に速いのだが、4時に目が覚めた。
仕事上の緊張からだろうか。
準備完了。体調には異常はない。

2008年7月25日
寒かったアンカレッジから暑いニューオーリンズへ
アンカレッジは例年より寒いという。5月に大雪が降ったりしたそうだが、この時期には大きくなっているヒマワリが今年はまだ背が低いままだという。滞在最後の日の午後は、冷たい雨が降り、途中から当たってはならない本降りに見舞われてしまった。少し身をさらしただけで、体が冷え切る冷たく、大粒の雨が降ってきた。そのアラスカを後にして向かった先は、暑さが厳しいといわれるニューオーリンズだ。
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日本ではまた大きな地震に見舞われたというが、こちらでは燃料オイル漏れの事故があり、あたりに強いオイル臭がただよっている。
何も知らずに来たニューオーリンズだが、聞いていたほどの暑さではなかった。東京が暑いからであろう。日が落ちるとかなり涼しい風が吹いて来る。ただ、今日はオイル臭のする風なので、あまりいただけないのだが。
有名な話なのだろうが、当地のタクシーは日本のパトカーと見間違うような白と黒に塗り分けられている。
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国際的には警察車両は青と白や青とクリーム色などが多く、日本のように黒と白に塗られているものはほとんどないのだが、日本人にはドキッとする配色だ。
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一方、これがニューオーリンズ警察の車両。ほとんど白で青い文字が書き込まれている。
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ちなみに、これがアラスカのスワード警察の車両。
ニューオリンズでは、夾竹桃や百日紅(さるすべり)の花がたくさん咲いていた。
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バルコニーを飾る植物もアラスカとは全く異なり、夏を感じさせる。
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いわゆるサマータイム(デイライト・セイビング・タイム)の関係で、8時頃までは明るいが、アラスカとは異なり9時には真っ暗になり、人通りも少なくなる。
ガソリンは、アラスカが1ガロン4.44ドルだったのに、ここは3.74ドルと0.7ドルも安い。後で知ったが、現在アメリカで生産されているオイルの6割がルイジアナ州産だという(聞き間違えでなければ)ことから、ここではガソリンが安いのだろうか。ジョージア州も安いらしい。

2008年7月25日
今日は久しぶりに3食をたくさん食べることになりそうだ(闘病記から)
朝、しっかり食べた所に、量の多い昼食を食べた。
これは会費のうちで、食べても食べなくても同じなので、大きな鶏肉とデザートまで食べてしまった。 夕食もすでに払ってあるので、食べることになるが、何が出てくるのだろうか?
まだおなかが空かない。

2008年7月25日
食べすぎの影響は出なかった(闘病記から)
昨日はたくさん食べた。特に、肉の量が多かったが、その影響は今のところ感じない。
時差の影響もだんだん少なくなっているが、昨日は早く寝た。
今日は早く起きた。
2008年7月25日
見事な重量感
ニューオーリンズのハリケーン・カトリーナの被災地を巡るツアーの途中で通過した美術館の前で、ボリュームのある女性の像があった。
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日本でも有名なものと思うが、せっかくなので撮影した。
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圧倒される重量感である。
美術館の中を見学する時間がなかったのは残念であった。
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2008年7月26日
いよいよ帰国(闘病記から)
1週間の夏休みも終えて、いよいよ帰国。
また時差を経験することになる。
今日は朝4時55分のシャトルバスに乗る必要があるため、4時に薬を飲んだ。
異常はない。昨日たくさん注文したルームサービスの残りを食べた。
これで体調万全。

2008年7月27日
無事日本に帰って来た(闘病記から)
9日ぶりに日本に帰って来た。
ホテルで風呂を浴びて一息ついた。
休んでいると、右肩にかなりの筋肉痛がある。
これが病気の結果なら大変だが、重い荷物を運んだ影響だと思う。
時差に備えて、今日は薬を3食後に服用している。

2008年7月28日
再び時差が(闘病記から)
日本に帰ってきたことによる時差で、2時半に起きた。3時半まで読書に、出勤。
いつもより眠くない。
旅行中気にならなかった右脇腹の肋骨付近の痛みを昨日は感じたが、今日は軽くなっている。
右肩の筋肉痛は荷物を持ったからだと思うが、まだ続いている。
ただ、起床時だけに痛いものではなく、ずっと同じ強さのものが続いているので、病気の影響ではなさそうだ。

2008年7月28日
口内炎ができた(闘病記から)
口蓋の上に口内炎ができて、かなり痛い。
口内炎も注意しなければならない合併症の一つだったが、発病以来ならなかった。
とうとうなってしまった、という感想だ。
その他は別に異常を感じない。

2008年7月29日
口内炎の痛みが続く 右脇腹痛は良くなった(闘病記から)
何か食べたり飲んだりすると、口内炎が痛む。
何もしなければ気にならないのだが。
右脇腹の痛みはほとんど感じなくなった。
昨晩は、後頭部の表面がピリピリ痛かった。
今朝も少し痛みが残っている。

2008年7月30日
口内炎が痛い(闘病記から)
口内炎が痛い。熱いものや冷たいものを食べると痛い。
食べている時でなければ気にならない。
右脇腹の痛みはほぼ取れた。
この日記を調べてみると、7月1日に右脇腹痛に最初に触れているので、よくなるのに約1か月かかったことになる。
ここのところ、不整脈も忘れている。

2008年7月30日
午後から後頭部に痛みが(闘病記から)
午後から、後頭部にコリコリした痛みを感じた。
また、その部分を触ると痛い。
気になったので、夕方から睡眠をとった。
時差の点からも気持ち良い睡眠がとれた。
午後9時に起きた時には頭痛は取れていた。

2008年7月31日
両肩が痛いのかも(闘病記から)
両肩の痛みが少しある。これは、旅行時に荷物を持った影響かもしれないが、少し気になる。
口内炎の痛みはだいぶ軽くなった。
後頭部の痛みは、朝起きた時に少し感じた。その後も少しだけある。

2008年7月31日
まあまあの状態(闘病記から)
右後頭部の痛みは少しあるが、ひどくはなっていない。
このところ感じなかった不整脈を午後に少し感じた。
その他は異常なし。



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