時々眺める富士山
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2007年12月1日
生まれて初めて林檎の皮を剥いた(守常ブログより)
木曜日に妻が転んで手首を痛めてしまった。そのため家事が思うようにできないでいる。ただ大事に至らなくて本当によかった。
それ以来家事を手伝っているのだが、昨日は生まれて初めて林檎の皮を剥いた。
3日たって、妻の手首も大分良くなってきたようでホッとしている。
年賀状の住所録の整理は少しずつはかどってきた。
2007年12月1日
庭の紅葉が進む
日の出が遅くなっているので、日の出の時間に起きるのはそれほど大変でなくなっている。ただ、このところ全身の関節痛と筋肉痛に悩まされており、朝は布団を剥ぐことも大変な状況になっており、起きるのはつらい。また、朝はカメラのファインダーを目の位置に来るまで、カメラを持ち上げることはできない。たった1ヶ月でここまで症状が悪化するとは思わなかった。
今朝は、日の出時に富士山は見えなかった。頭の上は青空の範囲が広かったが、西の空は白い雲に覆われていた。その雲は丁度富士山の山頂あたりまで覆っているようだった。そして、その雲から少し離れて、きれいな形の笠雲が見えた。きっと富士山の頂上の上にできていた笠雲だと思う。カメラを支えることができず、朝日に染まった笠雲の写真を撮ることはできなかった。
庭はすっかり紅葉が進んだ。紅葉はかなり色が濃くなってきた。昼過ぎになって筋肉が少しうごくようになってきてようやく撮影できた写真を何枚か掲げる。
杏も葉の赤味が濃くなった。葉の垂れ具合から、あと2,3日で落葉するのだろう。
午後になって、落ち葉の掃除ができるようになった。道路掃除も行えた。今日は風が全くなく、掃除日和だった。関節と筋肉痛がこれほど作業を困難にするとは思わなかったのだが、何とかできた。来週まで風の強い日がなければ、来週落ち葉の掃除をすれば、落ち葉ら周囲に広がって付近に迷惑をかけずに済むのだが。
ユッカの花は咲かなかった。まだ蕾のままだが、萎れるまでには至っていない。
2007年12月1日
夕方から見えてきた富士山
西の空の雲は、夕方になって次第に薄くなってきた。そして、頂上から顔を見せ始めた富士山は、日が暮れるにつれて全体が見えるようになって行った。
夕方の富士山は、逆光となるため、積雪の確認は難しい。
富士山の姿が裾野まで見えるようになった頃には、あたりはすっかり暗くなってしまった。
2007年12月8日
66年目を迎えた真珠湾攻撃の日の朝の富士山
今週末は、たまたま真珠湾攻撃の日と重なった。富士山の遠くから眺める姿は、当時も今もあまり変わらなかったはずだ。当時の人たちは何を思ってこの富士山を見ていたのだろうか?(真珠湾攻撃は現地時間の12月7日午前7時から8時頃であり、日本時間では12月8日未明。アメリカでは今でも12月7日を真珠湾攻撃の日としている)。
今朝は、東の空は雲がかなり多いが、雲の間から日が差している間の富士山を撮影した。「見よ東海の空あけて、旭日高く輝けば、天地の正気溌剌と、希望は躍る大八洲、おお晴朗の朝雲に、聳ゆる富士の姿こそ、金甌無欠揺るぎなき、わが日本の誇りなれ」
この詩は好きだし、あの曲もよい曲だと思う。ただ、戦争を行ってはいけなかった。
街中ではクリスマス色が深まっている。この頃流れるビング・クロスビーのホワイトクリスマスは、クリスマスソングの代表曲として子供の頃から親しんできた名曲である。クリスマスの頃の恋の歌ぐらいにしか思ってこなかったのだが、1942年のこの曲は、日本軍との戦闘のために南洋に派遣された米国軍兵士が、熱帯の酷熱の下での苦しい戦闘の日々の中、1,2年前まで本土で過ごしていた、雪に覆われたクリスマスらしいクリスマスを夢見た心を唄ったものである。
戦争を始めた方の歌、受けて立って結局勝利した側の歌、ともに芸術性は高く、あの戦争の歴史がなければ生まれなかったかもしれないものだが、ここに不戦を強く願い富士山を眺めるものである。
2007年12月8日
年賀状の印刷は終わった(守常ブログより)
コンピュータが変わり、ソフトも一太郎からワードに変わったので、年賀状の印刷は思いのほか大変だった。せっかっく編集した住所録のエクセルファイルが、ワードが既定で読み込むように設定していた住所録ファイルと違っていたり、不手際があった。
次男の助けを借りて、ようやく印刷を終えた。ところで、その次男がリューマチ性の難病にかかってしまったという。早く良くなってほしいものだ。
2007年12月9日
投薬量(闘病記より)
12月6日から、プレドニン日量15mmgの服用治療を開始した。
プレドニンは、まさに特効薬で、筋肉痛がきれいに取れる。特に大腿筋の痛みが全くなくなるのがありがたい。普通に立ち上がることができる。
一方、肩の関節の痛みは少し残っている。これは普通の50肩の痛みかもしれないと納得できる。
プレドニン日量15mgは、今のところ必要量のようだ。昨晩7時に服用後、今朝は日曜で睡眠を十分とったら、朝9時には、大腿筋と上腕筋の痛みが復活してきていた。服用間隔を12時間以上開けることは、今のところできないようだ。
2007年12月9日
花が開いたユッカ
ユッカの花がついに開き出した。この花は、下から眺めるときれいな花だ。透けるように白い花が咲くのだが、この時期に咲き出した花は、そこまで白くならないかもしれない。上まで咲くことはないだろうが、とにかく咲き出してよかった。
ツルバラ(アンジェラ)がまだ花をつけている。このところの体調不良で、何もしていないが、桜や杏、さるすべりなどの落葉樹が、ほとんど葉を落してひっそりとした庭に、彩りを添えてくれてありがたい。
風の強い日が少なかったため、落ち葉が周囲に散らかることが少なくてよかった。大半の落ち葉は動きの鈍い体で掃除を終えることができた。まだ葉がたくさん残っているのはカエデだけだ。
2007年12月9日
発端は何時からか?(闘病記より)
現在リウマチ性多発筋痛症と思われる病と闘病中である。
まだ病名が確定したわけではないが、忘れないうちに体験を記しておきたい。
この病気の症状が現れたのは何時頃であろうか?そんなに遠い過去ではない。ただ、症状を少し放っておいたので、ごく最近でもない。
今まで、筋肉痛は運動をした後に現れるものと思っていたのが、今日は何で筋肉痛があるのだろう?それも軽度の筋肉痛を、左手の肘の内側に感じたのは、今年の8月中頃だったかもしれない。
特に運動をしない生活を送っており、筋肉痛が現れることはまれな生活を送っていた。ただ、ボランティアの道路清掃をかがんだ姿勢で行っていると、腰や背中の筋肉が以前は感じていない痛みを伴い、背中を時々伸ばして休まないと、痛くて作業が続けられなくなって来たのは2年ほど前からのように思う。それまでは、しゃがんだままで1,2時間草刈りを、以前住んでいた集合住宅の共用広場で行っていて、汗はかくけど筋肉痛が出たりはしていなかった。
その当時は、手押しの芝刈り機を半日押し続けても、筋肉痛はなかった。衝撃で肘の関節が痛いかな?ぐらいだった。
本年に入って、正座していると妙な感じがあった。以前は足がしびれることはあったが、膝の関節の負担は少なかった。それが、足はしびれていないのに、膝の関節が固まった感じがあり、伸ばすのに痛みを伴うようになっていた。
これらは、すべて老化現象だろうと思っていた。ただ、今までにない不快な感覚に、一抹の不安を感じたことも確かで、そのことから、これらの痛みの記憶が今でも残っている。
2007年12月9日
50肩と思い込む(闘病記より)
9月になって、何もしていないのに、上腕部に筋肉痛を覚えるようになった。最初は軽いスポーツをした後に感じるような、ある種心地よい筋肉痛でもあった。ただ、何もしていないのに、今まで感じたことのない筋肉痛がするのに違和感はあった。
また、肩こりを感じ始めた。家族に以前からひどい肩こりを訴える者がおり、自分だけは細かい作業をしても肩が凝らないのを自慢としていたのに。
10月に入ると、両肩の関節痛がひどくなった。周囲からは50肩だと言われた。その年になれば、誰でも一度や二度はそんな痛みを経験するものだと笑われた。
その後、首に寝違えたような痛みを感じるようになった。首をスムーズに回すことが難しくなった。以前にも首を寝違えたことはあったが、それが1週間も2週間も続くことはなかった。
ただ10月中は、痛みの中心が肩の関節であったことから、50肩との自己診断はそれほど間違っていないように思えた。
しかし、ほどなくして肩の周辺の痛みが激痛に変わるとともに、下半身へまで痛みが拡大して行った。
2007年12月10日
プレドニン服用4日目(闘病記より)
今日は8時間ごとに近い形で服用したところ、筋肉痛の発生は極小のような気がした。ただ、肩の付け根に近い部分に焼けるような疼痛を若干感じた。肩そのものが少し痛くて、動かすとカタカタいうのは、通常の50肩だろうか?
プレドニンに副作用が気になるところだが、高血圧を防ぐには減塩する必要があるのだろうか?塩の摂取量を1日10g以下にする必要があるのだろうか。塩分は少なくても困らないのだが、買ってくる食品にはかなりの塩分が含まれているため、食べるものがなくなる。即席みそ汁も1杯2gある。
2007年12月11日
12時間開くと少し痛い(闘病記より)
昨日の夕飯から今朝の朝食の間が12時間開いて、プレドニンの服用間隔が12時間開いた。
両脇の付け根にスポーツの後に感じるような鈍痛がある。スポーツの後なら心地よい鈍痛であるが、病気だと知っていると恐怖感が伴う。
下半身の筋肉痛はすっかりとれているのだが、今日は左足の膝裏に軽い筋肉痛を感じた。
朝食後プレドニンを服用すると、痛みは軽くなっていった。
就寝中も、以前のような厳しい痛みは全く感じなくなり、朝蒲団から起き上がる時には、肩に若干の痛みを感じるものの、起き上がることができないといったあの痛みは全身から消えている。
ただ、熟睡から覚めた時、左手の尺骨神経がしびれていた。
2007年12月13日
1週間目の通院(闘病記より)
プレドニン15mgの服用を開始して1週間目の今日の午前中に経過を見てもらった。
簡単な問診を受けただけだが、先生は状況を的確に把握なされたようだ。
筋肉痛は嘘のように軽減しているが、少しあること、起床時の痛みが最も強いこと、寝る前に痛みはほとんど感じないこと。
プレドニンの服用量は、そう簡単には減らせないこと、場合によっては少量の服用をやめられない可能性があること。ただ、副腎で日量10mgぐらい生産されているものなので、それを補っていると考えて、体調に気をつけて服用を続けるべきであろうとのことであった。
プレドニン15mgの2週間分の処方箋をもらい、薬局で購入して帰る。
2007年12月14日
温泉治療(闘病記より)
筋肉・関節痛が50肩だろうと思っていた頃に、娘が温泉治療がよいのではないかといって、温泉宿を予約してくれていた。そこで、家族で中川温泉にやってきた。
今まで体のどこにも異常を感じていなかったので、温泉旅行に来ても酒を飲むのが中心で、温泉には入っても夕食前の1回だけのことが多かった。今回生まれて初めて何度も温泉につかった。
中川温泉は筋肉痛や関節痛の治療に効くという。温泉にじっくり浸かっていると、肩の関節痛が和らぐように思った。そもそも今回の筋肉・関節痛は、50肩と筋痛症の合併なのだろう。50肩の方は温泉でよくなるのだろう。筋肉痛はプレドニンが効いている間は感じない。
2007年12月14日
温泉治療2日目(闘病記より)
温泉宿のチェックアウトは午前10時だが、朝6時から7時まで、8時半から9時半までとじっくり温泉治療を行った。
今朝は臀部周りの筋肉痛を感じた。やはり薬を早々減量はできないようだ。温泉につかっていると、関節の痛みは和らぐ。浮力で足の筋肉にかかる負担が少ないので、下半身の筋肉痛も和らぐようだが、外に出るとやはり本調子ではないことがわかった。
2007年12月15日
炎上する富士山
今朝は富士山の山陰に滞在したため、早朝のTVで紹介されていた朝日に輝く富士山は見ることができなかった。
日中は白い雲に隠されていた富士山も、日没近くに雄大な姿を現した。
そして、雲のいたずらから富士山が炎上して見えた。スチールでは迫力がないが、微速度撮影すると、炎が揺らめくように見えたと思う。
2007年12月16日
中心部分が鈴なりに咲いたユッカ
寒くなってきているが、ユッカの開いた花はわずかに増えたようだ。ユッカは真っ白な花だが、西からの日差しに染まった花を撮影した。
本年は全体が鈴なりになって咲く様子は見られないだろうが、とりあえず中心部分だけでも咲いて良かった。
2007年12月16日
妻は林檎を剥けるようになった(守常ブログより)
転んで右手首をひどく捻挫してしまった妻も、2週間以上たって家事がこなせるまでに良くなった。
今日も普通に林檎を剥いていた。
次男は特効薬が聞いているようだが、薬の量を減らしていくのがこれからの課題のようだ。でも、だいぶ良くなっているようで、台所の天井に火災警報器を取り付けてくれた。法律で取り付けが義務付けられているのだそうだ。
2007年12月16日
大腸癌検査前日(闘病記より)
職場の定期健康診断で便潜血陽性となったため、明日は精密検査を行うことになっている。前日はインテスクリアという検査食を食べ、水をよく飲み、午後5時と7時に下剤を服用、明日の朝は座薬の挿入と検査に備えて行わなければならないことが多い。
検査食は1027kcalしかない。そのうち、飴を1個残したので1015kcalを食べたことになる。普段の供給エネルギーよりだいぶ少ないので、1日じっとしている方が良いと思った。
午後4時半の夕食を済ませ、午後5時に下剤(マグコロールP)を水150mlに溶かして飲み、午後7時に下剤(ラキソベロン1本:10ml)を水コップ1杯に溶かして飲んだ。
しかし、便意は一向に現れず、先に風呂に入った。ようやく午後11時ごろになって、若干便意を感じたので、トイレにしゃがんだら、水溶液状となった便が出てきた。
その後、12時近くになってもう1度出したが、出てしまったという感じはない。そのまま就寝。
2007年12月17日
大腸癌の検査は異常なし(闘病記より)
朝6時に起床。トイレに行くが、便は少ししか出ない。まだできった感じがしない。朝起床時にレシカルボン座薬を入れることになっているが、これは最終のものを出すのに使用する薬だと看護師さんから聞いているので、入れるのを待つ。
その後、7時半ぐらいにようやく全部出切った感じとなったので、座薬を挿入した。
午前9時までの間にコップ3杯の水を服用せよとのことであり、たっぷりと飲んだ。検査は午後1時からで時間は十分あるが、座薬の効果はなかなか現れない。
11時過ぎになってようやく最後の便意を催し、最終のものを出す。この便に固形物があると、検査は中止になってしまうという。色の薄い液便であり、一安心。
検査の前に服をすべて脱ぎ、不織布製の検査着に着替える。
検査の前に腸の緊張を取るために、副交感神経遮断薬を筋肉注射された。注射液が入ってしばらくの間は激痛を感じた。前立腺肥大、緑内障、心疾患、糖尿病の人は注射できないらしい。これらの病気がなくてよかった。この注射をしないと、検査の途中に腸が動いて、バリウムの排出やガスの放出が起こり、うまく検査ができないそうだ。
台が動きながら、体を動かさなければならない。胃の検査でこの動きは何度も経験しているのだが、2か月前からひどくなった筋肉・関節痛の影響で、指示通りに動くといろいろなところが痛い。コンディションの変化がこのようなところでも分かる。
検査室の中の検査員と検査室の外部モニターを観察している検査員とのインタフォーン連絡が途中からせわしなくなる。体の動かし方の指示も細かくなり、体の微妙な向きの変化を指示され、体に手を添えられることもあった。
そして、途中から外の検査員が中に入り、せわしなく体勢を支持し、「内視鏡」の言葉も聞こえ、内視鏡再検査の要あり、との結論かと少し焦る。この病院は内視鏡検査は順番待ちで予約が常に2か月先まで詰まっている。
所々で写真撮影を行って、ほどなく検査は終了。検査室の隣にあるトイレでガス抜きして終了。検査着を脱ぎ、服に着替え、消化器の診療の順番を待つ。
予約の診察時間は2時から2時30分だったが、3時になっても順番が来なかったので受付に聞いたところ、診察室が満杯なので、相談室に入ってくださいとのことになり、そこで検査結果を聞く。
異常はないとのこと。一安心。検査員の動きが途中からあわただしかったが、と聞いてみると、慎重に丁寧に検査をしただけとの説明だった。ところどころに影があるので、それを気にしたのだろうが、それは便だと思うし、たとえ変化があったとしても、通常経過観察をする程度のものであるから、全然心配ないとのことであった。
これで戦う相手はリウマチ性多発筋痛症であることがほぼ決まった。今日の先生も、大腸の方は心配なら2、3年に1回内視鏡検査を行うことも考えられるが、当分はリウマチ性の病気の方の治療に安心して専念してくださいとのことだった。
2007年12月17日
赤くなったポインセチア
夏の間、庭に植えて放任して育てていたポインセチアを11月に室内に取り込んだが、12月半ばになって赤くなってきた。ここまで赤くなれば、とりあえず満足だ。
2007年12月22日
筋肉は使った方が良いのか?(闘病記より)
20日の夜は、筋肉痛がなくて快適に思えたので、少し筋肉を使ってみた。8月頃までは腕立て伏せ40回を日課としていた。そこで、その半分の20回をやってみた。そしてしゃがみ立ちを20回行った。
翌朝までの間、深夜に2回トイレに起きた。この回数が増えているように感じるのも気のせいか?これまで日中の方がトイレの回数が多く、夜が少なかったのがその逆になっているように思える。1度は2時に、2度目が4時だったが、その後ぐっすり8時まで寝てしまった。4時のとき上腕と臀部に軽い筋肉痛(疲れのような)を感じていたが、8時半はいけなかった。上腕がかなり痛い。肩の関節痛がないため、筋肉痛を我慢すれば腕が上がらないわけではない。しかし、筋肉痛はかなりのものだ。急いで朝食で胃を満たしてプレドニンを服用した。9時過ぎから勤務開始。
この腕のだるさはほぼ1日続いた。やはり筋肉は使ってはいけないのか?
2007年12月22日
筋肉は使わないと痛くない?(闘病記より)
昨日は、午後9時半に帰宅し、風呂を浴び、10時過ぎに夕食。夕食後プレドニンを5mg服用。1日目立った運動はせず、職場の階段の上り下り程度。
深夜2時、5時半とトイレに起きた。これまでにない夜間頻尿が続いている。7時半に起床した際にもまたトイレ。昨日運動を控えていたためか、薬が効いているためか、今朝の筋肉痛は軽いものだった。
ただ、朝食と昼食の際にプレドニン5mgを服用しても、臀部や上腕の軽い筋肉痛が夕方まであった。ただ、夕方にはその痛みもすっかりとれた。夜10時にプレドニン5mgを服用。
妻の緑内障が悪化している。特に右目の具合が悪いようだ。本日、レーザー治療を行った。これで眼圧が下がるとよいのだが。その効果はすぐに出ることもあれば、時間をおいて出ることもあるという。
2007年12月23日
ベランダの鉢植えの花
天皇誕生日の今日、朝は雨だったが昼過ぎから日差しが戻ってきた。東京地方は気温が10度以下で推移しているが、富士山の山頂の気温は高く、早朝は東京と富士山の気温差が10度程度まで接近していた。
このところ体調を崩していることから、この連休は休養と決めている。本年は道路際にパンジーを植える元気もなかった。また、植えたとしても、このところの雨不足を乗り切るだけの水やりはできなかっただろう。管理が容易なベランダのプランターに植えたパンジーは咲き続けている。
ベランダに置いたアザレアも花を咲かせ続けてくれてありがたい。
2007年12月24日
連休の2日目は1日のんびりした(闘病記より)
朝2時半と4時45分にトイレに起きた。
連休の2日目で、その後は8時過ぎまでぐっすり眠った。
起床時には上腕筋に軽い痛みと臀部筋に軽い疲労感を感じた。
スパゲッティー・ミートソースの朝食後プレドニンを5mg服用。
動かなければ筋肉痛はないが、立ち上がる際や、ベランダの花に水を撒く際に如雨露を持ったりすると、筋肉痛を感じる。
夕方過ぎには痛みは全く感じなくなる。今日も3回目の服用を午後9時過ぎに持ってきた。明日の朝はどうだろうか?
2007年12月24日
夜間頻尿(闘病記より)
病気あるいはその治療と関係があるのかわからないが、このところ夜間頻尿となっている。今朝は午前2時15分、3時30分、4時半と1時間15分ごとに起きた。その後7時半にもう1回起きた。幸いすぐに寝付き、同じ夢の続きを見るような状態で寝られたので、それほど大変ではなかったが、出勤日では影響が出るだろう。
7時半にトイレに起きた時は、筋肉痛は全く感じなかったが、8時の起床時には肩に焼けるような感覚があった。朝食後プレドニン5mgを服用。10時になっているが、肩の筋肉通は残っている。
2007年12月25日
クリスマスの日のポインセチア
ポインセチアというとクリスマスの花というイメージがある。
夏の間放任して育て、11月に室内に取り込んだポインセチアも、クリスマスを迎えて街で売っているポインセチアの風情に大分近づいてきた。
冬の寒い時期に、長い間目を楽しませてくれる。
2007年12月25日
変わりなし(闘病記より)
今朝は3時半にトイレに起きたが。12時半に寝てから、夜のトイレは1回のみであった。4時に起床して出かけるため、その後20分ほどうつらうつらして、3時50分起床。4時10分に家を出た。
50分で職場について、朝食をとりながらプレドニン5mgを服用。朝は上腕にひりひり感があるが、強くはない。ただ、半年前までは全く感じていなかった感覚を、絶えず味合わなければならない生活になってしまったとつくづく思う。
その後、は普段通り。薬の副作用がないように祈る毎日だ。
2007年12月28日
定期健診(闘病記より)
木曜日は今年最後の定期健診だった。
前日は、夜間の水分を少なめにしたためか、午前2時半にトイレに起きただけだった。
7時に起床。ゆっくりと朝食をとって病院に行く。
小水と血液採取。朝食は食べたかと聞かれる。
先生に現在までの経過を説明する。朝は肩と臀部周辺の筋肉痛があることを告げる。
少しは運動、といっても簡単な屈伸運動程度をした方がいいのかと聞くが、安静にしている方がよいとの答えだった。
食事を少なめにして、太らないこと。糖尿病にならないように気をつけること。
除外診断なので、がんの可能性は完全には捨てきれないので、時期を見て胃カメラを飲んで、検査する必要があるのではないかということだった。
2007年12月29日
今日から年末年始休暇(闘病記より)
今日から年末年始休暇になった。例年は、庭掃除とかかたづけとかで動き回るのだが、今日は雨との予報でもあり、のんびりしている。雨は降っていないが、どんよりと暗い朝だ。
今朝は、1時から5時まで1時間おきにトイレに起きてしまった。
7時半に起床したが、そこでもう1回トイレ。今朝は筋肉通をほとんど感じない。
ぎりぎりのところまで痛みを我慢してから病院に行き始めたので、治るのにも時間がかかるのかもしれない。
2007年12月30日
暖かい年末の朝
東京地方は最低気温が10度以上の温かい朝を迎えた。天気予報とは異なり、昨晩もたっぷりとした雨が降り、湿度も80%と、空気は湿っている。朝は風もなく快適だった。
早朝には富士山は雲の上から頭だけわずかに出していたが、その後急速に雲が厚くなった。写真は、雲によって頭が隠されて、下のほうが見えている富士山である。
ユッカの花はほとんど変わらない。これより寒くなると萎れてくるだろう。
落葉樹はほとんど葉を落とした。例年通り、モミジがまだ僅かに葉をつけて年を越す。
9時過ぎから風が強くなってきた。日本列島各地は荒れ模様の年末年始を迎えるという。
2007年12月30日
ユッカの花が倒れる
早朝は風がなく暖かかったが、10時頃からかなり風が強くなり、時々突風が吹くようになった。昼過ぎに吹いた北からの突風で、ユッカの木の花を付けていた中央の幹が大きく傾いてしまった。花の先端の高さが4.5mにもなっていたので、その重さと突風に耐えられなかったようだ。仕方なく中央の幹を切断した。今朝とった写真が、この枝に咲く花の見納めとなった。
朝方、葉が残っていた楓も、この突風ですべて散ってしまった。これで我が家の落葉樹はすべて葉を落とし、すっきりとした。落ち葉の掃除も今日で終わりにできる。
日中、西の空は白い雲がどんどん厚くなり、富士山はずっと見えなかった。雲が薄くなった一瞬をとらえて撮影したのが下の写真である。積雪が増えているように見える。
日没直前までは雲が厚かったが、日没後は雲が次第に晴れて、シルエット状の富士山が茜色の空に浮き上がった。
2007年12月31日
大晦日(闘病記より)
昨年の今頃は考えもしなかった健康状態となってしまった。それまでは、思いどおりの生活をしていればよかった。薬はこの30年ほとんど飲んだことはなかった。食べたい物を食べていればよかった。動かしたいときに体を動かしていて問題はなかった。
朝起き上がれないという事態が起こるとは全く考えていなかった。
それが変化してしまったからにはしょうがない。薬を服用すると副作用があるが、服用しなければならない。体を安静にしていれば、体力が落ちてしまうが、安静にしていた方がよいという。健康であっても、不健康になってしまう生活だが、一旦体を壊すと、それが原因でさらに不健康となってしまうということがよくわかった。
これからは、この環境内で生活していかなければならない。
今朝は2時、3時半、5時半とトイレに起きた。幸いなことに、トイレと就寝場所は歩いて5歩。横になると前の夢の続きを見られるほどすぐに寝られることから、それほど苦にならない。
来年はどのような年になるであろうか?
2007年12月31日
穏やかな大晦日(守常ブログより)
30日は暖かかったが、大晦日の今日は気温が低い。ただ、風はなくよく晴れた穏やかな年の瀬となっている。
昨日まで、神様、仏様、お稲荷様のお供えの準備などで忙しかった。歳をとると、それまで楽にこなせてきたことにも、ずいぶん時間がかかってしまう。
この1年、いろいろなことがあったが、夫婦二人で無事新年を迎えることができる。
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