時々眺める富士山
 
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2011年4月1日
今日から4月
震災から3週間経った。直接の被害はほとんどなかったものの、被災地のことを考えると、浮かれたブログを続けるわけにはいかないと思った。被害の実態が判明するにつれ、心は沈み、放射能拡散による被害拡大におびえ、富士山の噴火の可能性におびえ、さらなる地震の可能性におびえ、すっかり落ち込んでしまった。
月替わりを機に、せっかく咲いている花の記録だけは残そうと思った。
昼すぎに撮影した。
2011年4月1日
排泄できて調子が戻る(守常ブログから)
便秘に苦しんでいた父は、今朝は排泄できて、楽になったようだ。
ただ、話しかけれても、首を振ったりするだけの反応が大半だ。
言葉を口から出すのが億劫になっているようだ。
ただ、「ありがとう」などの言葉は口にする。
2011年4月2日
今日の花と富士山
2011年4月3日
今日の花
2011年4月4日
今日の花
2011年4月5日
しゃべると胸が痛くなる(守常ブログから)
父は、しゃべると胸が痛くなるので、しゃべりたくないといっている。
小さな声でしゃべれば、胸の痛みが少ないのではないかというと、小さな声では、自分の声が聞こえないから、大きな声でしゃべるしかないという。
しゃべっては、左胸を押さえている。
寝起きには、虫や鳥の幻覚が見えるようだ。
そこの虫を取ってくれ、と真顔で言う。
そこには何もいない。
2011年4月5日
今日の花
2011年4月6日
室内を少し歩いた(守常ブログから)
今日は、日中気温が上がり暖かくなった。
しかし、父は「寒い」、「寒い」と言っていた。
午後には、姉が手伝いに訪れ、父に室内歩行を勧めた。
父は、歩くのは嫌だと言っていたが、少しだけ歩いた。
昨晩は、東京物語を観たのだそうだ。
2011年4月6日
今日の花
2011年4月7日
8分咲きの桜の下で記念撮影(守常ブログから)
東京では、昨日桜が満開となったという。
当地では、まだ8分咲きだ。
例年は満開になったところで、桜の下で記念撮影をしていたが、明日の天気が分からないので、今日8分咲きの桜の下で記念撮影をした。
父は桜の下まで歩くことができた。
父の表情は硬い。笑顔を作るようなところに気が回らなくなっている。
昨晩は腹痛に悩まされたという。
今年の桜の下での記念撮影が、こんな先行き不安感を伴ったものとなるとは、昨年は夢にも思わなかった。
日本の力強い復興を願うばかりだ。
2011年4月7日
今日の花
2011年4月8日
今日の花
2011年4月8日
食べられない(守常ブログから)
父は、昨晩は腹痛があって、よく寝られなかったという。
その反動か、日中の大半はよく寝ていた。
ここの所、食欲の減退は著しく、食べられないという。
小さなお菓子も半分しか食べられない。
背中が痛いと訴えている。
2011年4月9日
今朝は少し元気に(守常ブログから)
今朝、父は大きな声が出ていた。
少し元気になったようだ。
昨晩、薬を胸に張って寝たら、よく寝られたらしい。
暖かくなってきたのに寒いといっているので、少し体を動かすことを勧めた。
ただ、体を動かすと苦しいという。
それでも、体を動かした後は、体温が少し上がって、暖かくなったという。
2011年4月10日
選挙に連れて行った(守常ブログから)
今日は統一地方選挙の投票日。
父と母を車で投票所まで連れて行った。
父は、駐車場から、会場の公民館まで歩くのも大変だ。
他の人と比べると、顔色が悪いのが際立つ。
流れに乗れない動きしかできない。
投票箱に手をついて、一休み。
選挙権の行使もこれが最後かもしれない。
家まで、車で戻ったら、家まで50mのところに駐車車両があり。車を家の前に横付けできなかった。
投票で体力を使い果たした父にとっては、家までの距離を歩くのがつらそうだった。
2011年4月10日
今日の花
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