時々眺める富士山

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2009年1月1日
謹んで新年のお慶びを申し上げます(守常ブログから)
新しい年を迎えるにあたり、皆様方に謹んでお慶びを申し上げます。
私たち夫婦も、つつがなく新しい年を迎えることができました。
新しい年が、皆様方にとって旧年にもまして、好い御年であることを心から祈念いたします。
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2009年1月1日
タヒチでの休日
タヒチではモータリゼーションが進んでいる。

島の外周を回る幹線道路は、早朝から深夜まで車の流れが途絶えることはない。そして、それらの車のスピードはかなり出ている。ピックアップ・トラックや4WDが人気車種のようだ。バスやタクシーは少なく、旅行者はレンタカーを利用することになる。

トラックの荷台を改造したル・トラックがタヒチの交通機関としては有名だが、市場のそばなどでは目にすることも多かったが、それほど頻繁に目にするものではなかった。

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日本車が多い。フランス領であることからか、ルノー・日産関係の車が目立つが、トヨタ、ホンダ、マツダ、スズキの日本車が好まれている。

タヒチの朝は早い。
役所は朝7時から7時半に開き、午後3時から3時半に閉まるという。
それに合わせて、店も早くから開いている。7時にはスーパーマーケットが開いており、ベーカリーには焼きたてのパンが並んでいる。タヒチのパンは美味しい。

朝が早い一方、帰宅ラッシュも早くから始まる、午後3時半過ぎから、島の外周をめぐる道路は、島の中心街から両方向に向かう道路が混み出す。外周道路から一旦内側に入ると、道路は空いていた。島は内側に向けて高度を増す。高度を増すと気温が下がり、熱帯から温帯気候へと変化する。海辺の土地の価格は高く、パピーテ周辺では、もはや手に入れるのは難しいらしい。土地の高度が高いところは、気温も下がり快適で、土地の値段もそれほどではなさそうだが、車がないと生活できない。

タヒチは、大きなヌイと小さなイティという二つの島がつながったような形をしている。

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これはイティの側からヌイを見たところだ。少しかすんでいるが、これだけ見えるのは運がよいのだと聞いた。

2009年1月1日
眠いのは気候のせいか?(闘病記から)
旅先でやたらと眠い。
時差と温暖な気候のせいだと思いたい。
脳みそが溶け始めているとは思いたくない。
ただ、いつまでも寝ていられる。
時差ぼけと違い、夜目が覚めることもない。
筋肉痛はない。

2009年1月2日
タヒチの正月
タヒチは常夏の中で正月を迎える。正月飾りも赤い花が主体の鮮やかなものだ。
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市場ではこのような花飾りがずらっと並んで、正月を迎える華やいだ雰囲気が満ちていた。
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大みそかは夕方から新年を迎えるパーティーが催された。フランス語が分からないと会話の中にはなかなか入れないのだが、タヒチの音楽を賑やかに演奏し、皆で歌いながら新年の訪れを待った。新年のカウントダウンが始まり、日本より19時間も遅い新年がやってきた。


海岸線に沿って一斉に花火が打ち上げられ、それは30分以上続いていた。パーティー会場では「ボナニ」のあいさつとともに、周囲の者の間で接吻が交わされた。 20090102FireWork.jpg

新年を迎えてパーティーはさらに盛り上がり、賑やかな音楽は夜が明けるまで続いた。
こちらは途中で抜け出し、眠りに就いたが、賑やかな音楽の音がずっと聞こえていた。

2009年1月2日
タヒチのマラエ
タヒチのマラエ遺跡を訪れた。マラエとは宗教儀式を行う場所で、石を積み上げた四角い構造をしていた。上は平らな舞台のような場所となっている。マラエの内部には植物類は一切持ち込まれないそうだが、タヒチのマラエの舞台には、植物が若干植えられていた。また、人の姿をした蘇東坡のような板が何本か立っていた。
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石組の下からは人骨が発見されており、生贄が行われていた証拠だという。マラエはキリスト教の伝来とともに破壊されたことから、タヒチのマラエは1994年に復元されたものだという。
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マラエの周囲には石や木の像がいくつか立っていた。
ポリネシアの石像文化を感じるものであった。
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板には、人の顔が彫られている。
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どっしりとした石像。
復元されたものか、古いものか?
木造のものは復元されたものであろう。
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鮮やかな茶色に着色されていた。
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体に着色が施されていない木像もあった。

2009年1月2日
タヒチの元日
新年を祝うパーティーは午前3時ごろにクライマックスとなり、ダンスで盛り上がった。新年を迎えたタヒチの空は晴れ渡り、三日月が海に沈んだ後には、天の川が間近に見えた。なんでこんなに近くに見えるのだろと不思議であった。

パーティーの興奮が冷めた後、昼ごろまではけだるい暖かさが続いていたが、午後から気温は下がってきて、時折り強い雨が落ちてくるようになった。ただ、やみ間もあり、その間を縫って、カヤックで海に出てみた。白い砂の上に、大きな岩がごろごろしている遠浅の海で、小さな魚が泳ぎまわっているのが見えた。しばらくすると、また強い雨が降り出して来たので、戻ってきた。

雨は強いのだが、空全体が暗くなってはしまわない。日没までは、外はしっかりと明るかった。ただ、その明るさは室内までは回ってこない。日没頃には気温が20度ぐらいに下がってきた。ここまで気温が下がると、地元の人たちは寒いと言っている。確かに夏という感じではなくなっている。昨日までの暑さがうそのようだ。

ところで、昨日訪れたイティの山の温帯の植生となっている場所で、見事に枝を広げた木を見つけた。日差しを浴びて緑も映えており、今日のかすんだ緑とは違っている。

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今日のような天候では、このようには見えないはずだ。

2009年1月2日
タヒチ島内観光で見たものなど
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タヒチの灯台
丈の高いヤシの木に囲まれているように見える。中に入ることはできないが、日中でもよく目立つ白い建物だ。
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タヒチ島の北側の海岸
遠くにモーレア島が見える。黒い砂の海岸が続いている。
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海岸まで降りてきて見た景色
モーレア島が後ろに見える。サンゴ礁に囲まれているが、この辺の波は、滞在地の海岸に来ていた波よりずっと高かった。
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ティアレイの滝
タヒチの密林地帯には多くの滝があるという。そのうちの一つのティアレイの滝を訪れた。小さな島にしては、かなりの落差のある滝だ。落石が多いので、水の中に入って近づくこと(遊泳)は禁止されている。付近は密林で、蚊が多いので注意する必要がある。ただ、それほど蚊の被害には遭わなかった。付近一帯には、細かい水しぶきがきらきら光りながら降り注いでいた。

日没とともに、今夜は全くの闇夜となっている。窓から外を見ても、見えるものは何もない。

2009年1月3日
のんびり過ごせている(闘病記から)
常夏の地でのんびり過ごしている。
1日中眠かったのが、ようやくとれて今朝は早起きした。
ただ、また暑さゆえのけだるさが出てきている。
早朝カヤックで漕ぎ出したため、背中の筋肉が少し痛い。
これは病気の影響ではなく、運動のせいだと思う。

2009年1月4日
タヒチでの正月
元日のタヒチは夜になって気温が下がってきた。たとえが適当かどうか分からないが、夏の軽井沢のような涼しさだった。窓を開けて寝ると少し寒い感じだった。ただ、1月2日の夜が明けると、再び蒸し暑さを感じる気候に戻っていた。そこで、早朝にカヤックでラグーンの中を探索した。

こぎ出た場所では、岸辺からラグーンの中間部まではサンゴが水面近くまである場所が多く、サンゴの周辺には魚が泳ぎまわっていた。それより沖に出ると、サンゴのあまりない、白い砂の部分となった。このあたりの水深は3mぐらいのようだった。

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しばらくして、日差しが強くなったので、海から上がった。

日本では、お節料理という保存食によって、正月に3食の料理から解放される。タヒチでは、新年を迎えるパーティー料理がその役目を果たした。パーティー終了後、余った料理を素早く冷蔵庫に入れ、元日の午後からしばらくの間食べることによって、料理の手間をだいぶ省くことができるようだ。

午後からは、市内中心部に出かけてみた。市場は休みで、市内は閑散としていた。市庁舎には新年の飾り付けがされていた。もちろん、開いてはいない。

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ホテル・デ・ヴィレの表示があるが、フランス語ではこれが市庁舎である。
市役所は手狭になり、付近に別館がいくつかあるようだった。

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これが警察本部。フランスの行政機構なので、軍と警察の両者の機能が合体した憲兵隊警察(ジャンダルムリ)であり、入口にはそのように表示されている。

市の中央部ではル・トラックを見かけたが、乗客が少なく、客待ちをしてから発車していた。

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しばらくたっても、乗客が来ない場合もあった。
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市内から少し離れたところに、ピエール・ロティの銅像があった。
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銅像のそばに、ものすごい音量で音楽を鳴らす赤い車があり、川にかわるがわる飛び込む少年たちがいた。
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2009年1月4日
タヒチでの正月2
その後、車でパペーテが一望できる山に登った。夕方となり霞んでおり、町ははっきりとは見えなかったが、今見てきた町がこじんまりと集まっていることはよく分かった。

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パペーテの町の先には、山の頂に雲がたなびくモーレア島を望むことができた。
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山の上にはレストランがあり、眺望と食事や飲み物をともに楽しむことができる。タヒチのビールといえばヒナノである。以前なら何本も飲んで、その味を云々するところであるが、味を確かめるほど飲むことはできなかった。
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これはヒナノビールの裏ラベルだ。タヒチ産であると表示されている。タヒチの数少ない工場製品の一つだ。後ろに見えるのはマイタイ。
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2009年1月4日
タヒチでの正月3
1月2日の夜は、ポリネシアショーが楽しめるディナーに出かけた。
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いくつかあるダンサー・グループの中で、一番のグループによるショーだという。
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激しい動きの連続であった。
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幼さが感じられるダンサーもいた。<br> 20090104DinnerShow4.jpg

ポリネシアショーでは必ずある、たいまつを回す踊りも迫力があった。
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タヒチでは、雨が降っているのに星空だったり、日が差しているのに雨が降っていることはよくあった。ショーの帰りには、雨がパラパラ落ちてきたが、星は見えていた。明日の天候はどんなであろうか?

2009年1月4日
タヒチでの正月4
1月3日は、雲が厚い中で夜明けを迎えた。
早朝にまたカヤックをこぎ出してみた。
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サンゴ礁が手を伸ばせば触れるところに広がっている。魚も大小、色とりどりのものが泳いでいるが、カヤックをこぎながらうまく撮影することは難しかった。
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ホテルの水上バンガローも方向を変えてみると、また違った趣だ。
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モーレア島は曇り空の下で、黒ずんで見えた。

その後タヒチ博物館に出かけた。
館内は撮影禁止であった。地理、気候、海の生物や歴史など広範囲の展示がされている。8割程度の展示物には英語の解説があったが、フランス語しかないものもあった。

午後1時から、集中豪雨のような雨が降り出したことから、午後の外出は控えた。猛烈な雨は2時間ほど続き、その後は強い雨程度になったが、長い雨が降り続いている。海の方に目をやると、波は別に高くなっていないようだ。インドネシアの地震のニュースを聞いたが、素人が感じるほどの潮位の変化は今のところない。

2009年1月5日
正月休暇は終わった(闘病記から)
年末年始休暇を終えて帰国した。
背中が少し痛いが、これはカヤックの影響だろう。
旅行中に少しアルコールを摂取した。
異常は感じていない。
少し便秘気味だ。

2009年1月6日
背中が少し痛いが(闘病記から)
背中に痛みがあることを除くと、大きな異常はない。

2009年1月6日
肩に若干の痛みが(闘病記から)
日本に帰ってきて、肩に若干の痛みが出てきた。
その一方で、背中の筋肉痛は取れた。
便秘気味だが、一応出ている。

2009年1月7日
けだるさのような筋肉痛が(闘病記から)
起床時、けだるさのような筋肉痛が大腿後部にある。
起き上がる時に、立ちくらみのような感覚もあった。
その他大きな異常はない。

2009年1月8日
今日は定期検診日(闘病記から)
起床時特に異常はない。
久しぶりに体脂肪を計量したら、体重は増加していないのに体脂肪が増加し、筋肉量が落ちていた。
今日は定期検診日。
どのような結果が出るだろうか?

2009年1月8日
服薬量を1mg減量することになった(闘病記から)
本日の定期検診で、服薬量を1mg減量することになった。
痛みが出たら、量を戻すように指示された。
前回のCRPは0.02で、炎症は起こっていないとのこと。
血液検査のその他の結果も良好とのこと。
腎臓、肝臓等に異変はないとのこと。
ただ、これ以上の減量は難しいかもしれないとも言われた。
ただ、自覚症状的には、状態は良い。

2009年1月8日
ゆっくり休んだ(闘病記から)
昨日から服薬量を減量した。
昨日はゆっくり休んだ。
起床時異常は感じない。
ゆったりとしている。

2009年1月9日
下腹部の痛みが(闘病記から)
今日は下腹部に異変を感じた。
大腸腫瘍がぶり返したような不安がよぎった。
なんでもなければよいのだが。

2009年1月10日
胃が少し痛い(闘病記から)
胃に痛みを感じる。
大腿後部に攣ったような感じがある。
肩の痛みはない。

2009年1月10日
雲の間から垣間見えた厳寒の富士山
昨日は、東京をはじめ、日本列島各地で初雪が観測された。
今朝の湘南地方は晴れ上がったさわやかな朝を迎えた。
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日の出頃は、富士山に雲がかかり、その周辺の雲は少なかった。
南風を示す雲の流れがあった。
その後、西の空は白い雲に覆われたが、富士山山頂付近はよく見えた。
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今朝の富士山は、零下21度となっている。

2009年1月10日
1日中見えていた富士山
午前中から昼にかけて西の空の低い位置に雲が少しかかっていたため、富士山は隠れがちであった。午前中は上の方にも薄い雲がかかっていたが、午後から雲が晴れて日差しが強くなった。

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風は微風で、日向では暖かかった。
西の空は、昼ごろ雲が少し多かったが、1日中富士山は見えていた。
南側の積雪が、裾野まで広がっている。
午後から雲は次第に少なくなった。
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夕方には、ほとんど雲がなくなり、茜色に染まった西の空に、富士山が浮かび上がった。
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2009年1月10日
胃と右下腹部が気になった(闘病記から)
胃と右下腹部の違和感が気になった。
特に、右下腹部は、大腸腫瘍の手術部だから気になる。

2009年1月11日
起床時大きな異常はない(闘病記から)
ゆっくり寝た。
起床時大きな異常はない。
様子を見よう。

2009年1月12日
今朝は吐血があった(闘病記から)
起床時に吐血があった。
思い当たることは、昨晩チョコレートを食べたことだ。
右下腹部も、気にすると違和感がある。
筋肉痛はそれほど気にならない。

2009年1月13日
歯と胃が気になる(闘病記から)
胃にむかつき感がある。
左下の歯はそのままにしているが、気にはなっている。
2009年1月13日
腕に筋肉痛があるかもしれない(闘病記から)
肩から上腕に筋肉痛があるかもしれない。
服薬量の減量の影響か?
今日は便が出ていない。

2009年1月14日
睡眠をたっぷりとった(闘病記から)
起床時筋肉痛はわずか。
下腹部の違和感もわずか。
吐血はない。

2009年1月14日
痛みが少し出てきているのかもしれない(闘病記から)
服薬量減量の影響で、痛みが少し出てきているのかもしれない。
昨年秋のように、CRPが上がらないように気をつける必要がある
今のところ、今日はこのまま様子を見よう。
便は快適に出た。

2009年1月15日
大腿後部等に痛みが(闘病記から)
今朝は眠りが浅かった。
トイレにも3回起きた。
起床時左の股関節周辺に痛みがあり、大腿後部も軽い痛みがある。
肩の関節を中心とした痛みも感じる。

2009年1月15日
右下腹部の痛みが気になる (闘病記から)
若干の肩や大腿後部の筋肉痛があるため、今日は夜に1mgの服用をした。
右下腹部痛が気になる。
以前は経験しなかった違和感だ。

2009年1月16日
右下腹部の鈍痛はあるが(闘病記から)
起床時、股関節周辺通と右下腹部痛がある。
肩の痛みは気にならない。

2009年1月16日
毎日よく見えていた富士山
今週は冬型の寒い日が続き、空はよく晴れていたため、連日富士山はよく見えていた。
今朝の冷え込みは少し緩み、風もなかった。
雲のまったくない西の空には、富士山がくっきりと望まれた。
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これは、東の空に太陽が顔を覗かせたときの富士山だ。東の空にも雲はなく、真っ赤な大きな太陽が昇ってきた。
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その後も雲は出てきていない。

2009年1月17日
気にすると気になる(闘病記から)
昨日は疲れていてすぐに寝た。
起床時、大きな異常はないが、気にすると右下腹部に鈍痛がある。
2日前から、時々腰痛を感じる。これは長い間感じなかったものだ。
体にガタが来ていることを感じざるを得ない。

2009年1月17日
昼前後から雲に隠れだした富士山
今日は昼前から、次第に西の空に雲が多くなってきた。
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今日は昼前から、次第に西の空に雲が多くなってきた。
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午後になると、肉眼では雲と富士山との区別が難しくなった。
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その後も厚い雲が富士山を隠していたが、日没近くには、麓の方はシルエットとなって現れた。
富士山頂の気温も、この1週間-20度以下だったが、今日の日中は-18度台まで上昇した。東京地方は、明日は冬型の天候も緩み、雨が降るという。そして来週から3月の陽気になるという。

2009年1月18日
腰痛が気になった(闘病記から)
片付け物をする際、腰痛が気になった。
右下腹部通も気になる。
肩はそれほど痛くない。

2009年1月18日
下腹部痛が(闘病記から)
昨晩、就寝時に下腹部痛がひどかった。
起床時は気にならなくなっていたが、その後また気になりだした。
筋肉痛はそれほどでもない。

2009年1月18日
今日はおなかが痛かった(闘病記から)
下痢を伴う食あたり症状だった。
ひどくはないが、長く続く腹痛だ。
筋肉痛は問題ない。

2009年1月19日
昨晩は腹痛が続いた(闘病記から)
昨晩は腹痛が続き、ゆるい便が少しずつ出た。
今朝もそれが続いている。

2009年1月19日
大腸の診察をした(闘病記から)
今朝、大腸の診察をしてもらった。
触診で異常はなく、放射線を浴びるまでのことはないだろうとのことだった。
筋肉痛は異常なし。
軟便が続いているので、便秘の心配はない。
不整脈はこのところまったく忘れている。

2009年1月20日
特に異常はないが(闘病記から)
右下腹部に違和感は残るが、心配しないことにしよう。
筋肉痛はあまりない。

2009年1月21日
大きな異常なし(闘病記から)
1日大きな異常はなかった。
ただ、大腿後部に筋肉疲れを感じた。

2009年1月21日
腰痛が(闘病記から)
ここのところ気になっていた腰痛が、今朝はかなりきつい。
筋肉痛とは別の痛みだが、原因は同じものなのか?

2009年1月21日
異常なし(闘病記から)
足の筋肉痛は夜になって軽くなった。
大きな異常はない。

2009年1月22日
大丈夫と信じよう(闘病記から)
朝起きるのが少しつらかった。
起床時、目がしょぼしょぼしていたが、通勤とともに治った。
股関節を中心にした大腿後部に疲れ感はあるが、大したことはない。
大丈夫と信じるしかない。
服薬量は8mgを保持している。

2009年1月22日
大きな異常はない(闘病記から)
1日、大きな異常はなかった。

2009年1月24日
暖かい朝
寒暖の差が大きい1週間であった。日曜日と木曜日は寒く、月曜日と金曜日が暖かかった。昨日は4月上旬の陽気だったというが、月曜日はそれより暖かかった。一方富士山頂は、月曜日には-10度を上回り、昨日は午前8時に-5.9度まで気温が上昇していた。
当地の朝は無風で、昨日の暖かさがまだ残っており、朝でも厳重な防寒具は必要ない。夜明け前は、東の空も西の空もよく晴れており、朝日に染まる富士山を見ることができた。
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富士山の周りに見える雲は、南から北に移動していた。
今朝の富士山は、再び気温が-20度以下になってきている。
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その後雲が次第に増えてきて、どんよりとした感じの朝となっているが、引き続き無風で寒さは感じない。日本列島はこれから強い冬型の気候になるという。

2009年1月24日
次第に寒くなった1日
日の出前後はよく見えていた富士山も、午前8時には白い雲に隠され始め、9時ごろには灰色の雲に完全に隠れてしまった。それとともに、空全体も灰色の雲の部分が多くなり、日が差したのはわずかの間だけであった。
時間とともに気温は下がり、弱いが風も吹く寒い一日となった。結局富士山は早朝しか見ることはできなかった。
東京方面は日中に小雪が舞ったらしいが、当地は夜になって霙交じりの本格的な雨が降り出した。ただ、近くにあるアメダスの降雨量にはカウントされなかったようだ。
ニュースでは大気の乾燥が強いという話をよく聞くが、当地は適度の間隔で降雨があり、水をやらなくてもパンジーやビオラが元気でいてくれてありがたい。
庭のピラカンサの実はまだ8割がた残っている。椿や山茶花の花は少なくなってきた。早春に咲く花のつぼみはかなり膨らんできている。

2009年1月24日
腰が少し痛いこと以外に異常なし(闘病記から)
腰痛が続いている。
筋肉痛は気にならない。

2009年1月25日
起床時左股関節が痛かった(闘病記から)
ぐっすりと寝た。
起床時左股関節が痛かった。
次第に痛みは治まっているが、まだ痛い。
その他に大きな異常はない。

2009年1月26日
左股関節の状態は悪化している(闘病記から)
左股関節が痛い。
痛みは強くなっているようだ。
その他に大きな異常はない。

2009年1月26日
大きな異常はなかったが(闘病記から)
胃に違和感がある。
たぶん状態は良くないのだろう。
筋肉痛はあまり気にならなかった。
ここのところ、目の疲れが少ない。
不整脈も気にならない。

2009年1月27日
起床時左肩が痛かった(闘病記から)
起床時左肩が少し痛かった。
左の股関節も少し痛い。
大腿後部の疲れ感も若干あるが、大きな異常ではない。

2009年1月27日
少し食べ過ぎた(闘病記から)
夕食を少し食べ過ぎたみたいだ。
胃が苦しい。。
体重が59kgになった。
日中まで痛かった左股関節の痛みは、今は気にならない。

2009年1月28日
右目が痛い(闘病記から)
昨晩から異常を感じていたが、今朝は右目がかなり痛い。
左肩と左股関節の痛みはまあまあの状態。

2009年1月28日
関節痛が少しあるが(闘病記から)
肩と股関節の関節痛が少しあるが、服薬量はそのままにしている。
これ以上強くなったら考えよう。

2009年1月29日
関節痛が少しあるが(闘病記から)
起床時、左股関節の痛みが目立つ。
左肩も痛い。

2009年1月30日
服薬量を増量した(闘病記から)
左肩と左股関節の痛みが取れず、許容量を超えたようなので、今日は服薬量を1mg増量した。
現在股関節の痛みは取れている。
左肩は少し痛い。
明日の朝はどうだろうか?

2009年1月30日
起床時両肩と左股関節の痛みが目立つ(闘病記から)
左股関節はかなり痛い。
左肩も痛みが目立つ。
右肩も少し痛い。
やはり薬は増量すべきだろう。
夜に1mgにしてみるか?

2009年1月31日
調子はいまいち(闘病記から)
左股関節と肩関節の痛みは長く続いた。
夜になって取れてきたが、夜には吐血があった。
右目の痛みはかなり引いてきた。
そしたら、今度は左目に違和感がある。

2009年1月31日
痛みは弱かったが(闘病記から)
ゆっくりと寝た。
起床時、関節痛や筋肉痛は弱い。
ただ、若干の吐血があった。

2009年1月31日
つつがなし(守常ブログから)
1月も今日で終わる。
新年を迎えて早や1ヶ月が過ぎた。

1月は行く、2月は逃げる、3月は去るのたとえどおり、あっという間に過ぎてしまう。

この間ブログ更新はしなかったが、億劫でなかなかできないこともあるが、便りのないのはよい便りのことわざどおり、夫婦つつがなく過ごしている。

今朝方はかなり強い雨が降っていたが、寒さはだいぶ和らいでいる。もうすぐ立春。一雨ごとに暖かくなるのだろう。

2009年1月31日
どんよりとした曇り空
1月も今日が最終日。昨晩は、遅くなって土砂降りの雨となった。帰宅時と重なり大変だった。
今朝も早い時間帯では、昨晩以上の強い雨が降っていたが、10時ごろには雨も上がった。
ただ、空全体が厚い雲に覆われており、富士山は見えない。
各地で梅の便りが届いているが、我が家の白梅も今が見ごろだ。
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青空の下で撮影できれば、白い花がもっときれいに見えるのだが残念だ。
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ピラカンサの実は、野鳥に食べられずにまだ大半が残っている。
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春の花木の花芽が膨らんできている。それらの中から、木蓮の花芽を撮影した。
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木蓮の花は、開ききる前にヒヨドリに食い散らかされてしまう。今日も枝にヒヨドリが来ていたが、今から花芽が膨らむのを待っているのだろうか?
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今日は先週までの寒さは感じない。富士山頂の気温も、午前9時にはマイナス3.9度まで上昇した。地面に目をやると、草が伸びだしている。春は、もうそこまで来ている。

2009年1月31日
今日も夜1mg服用した(闘病記から)
1日のんびりできた。
夜1mg服用した。
筋肉痛より胃痛が気になる。



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