科学的犯罪学

どのようにすれば弾丸と銃器の関係を確定できるか
スタンリー・F・ゴーマン
ニューヨーク市警察大学校における弾丸と銃器の鑑定に関する講演から

             (サイエンティフィック・アメリカン誌1930年10月号より転載)


(1)はじめに
(2)まえがき
(3)銃身の製造法と銃器鑑定の原理
(4)発射痕の検査法


(1)はじめに
 アメリカで発射痕鑑定が裁判で証拠として認められるようになった経緯は、「銃器鑑定(FBI 1941年)」の中の「(11) 銃器関連証拠の鑑定法の発展と証拠能力」に解説されている。そこで紹介されている判例を見ると、州の最高裁判所レヴェルで発射痕鑑定の証拠価値が認められた最初の事例は、1923年のオレゴン州のようである。ただ、その例は、発射銃器を特定したものではなく、銃種を特定した事例となっている。

 その翌年の1924年5月27日のコネチカット州最高裁判所の判決で、発射痕鑑定の結果に基づき、被告が無罪となった事例が紹介されている。その事件は、その後アメリカの司法長官となるカミングスが州検事を務めていた時の事件で、「発射痕鑑定の証拠価値を認めて、被告を無罪とすべきだ」という彼の意見が最大の根拠となって、無罪となったと解説されている。そのカミングスの言葉の中に、「弾丸指紋の科学(science of fingerprinting bullets)」という言葉が出てくる。

 1928年のケンタッキー州の判例では、発射痕鑑定を行うべきであるという主張がなされており、この頃から、発射痕鑑定は、資格を持った鑑定人が行った結果でなければ認められないとする主張がされるようになる。1929年のケンタッキー州の裁判では、証人が法廷の黒板に図を描きながら、銃器には固有の工具痕が付けられていて、その痕跡が弾丸にも付けられることから、弾丸の発射銃器が区別できると証言し、その発射痕鑑定の証拠価値が認められている。一方、この事件では、それに反対する証言も認められている。

 1930年のイリノイ州やオハイオ州の判例では、発射痕鑑定の証拠価値について認めるとともに、それによって発射銃器を特定した結論が認められている。このように、1930年には、発射痕鑑定の証拠価値が、アメリカの裁判でほぼ確定した。そして、それから4年後の1934年には、イギリスでバラードの銃器鑑識の教科書が出版され、1935年にはアメリカでガンサー&ガンサーとハッチャーの銃器鑑定教科書が出版されることになる。

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              著者が比較顕微鏡を用いて弾丸の検査を行っているところ

 ここで紹介する文献は、発射痕鑑定の証拠価値が裁判で確定した時期の1930年に、ニューヨーク市警察の警察官として銃器鑑定を専門に行ってきたスタンリー・F・ゴーマン(Stanley F. Gorman)が警察大学校で行った講演である。その内容はサイエンティフィック・アメリカン誌に「科学的犯罪学-どのようにすれば弾丸と銃器の関係を確定できるか(Scientific Criminology, How Bullets and Firearms Are Matched for Identification」と題する記事として掲載された。発射痕鑑定の黎明期の、まとまった技術資料の一つである。この文献も、訳者の畏友ジョン・マードック(John E. Murdock)を通じて入手した。なお、見出しは訳者が付けたものであり、原文には存在しない。

(2)まえがき
 刑事が扱う事件のうち最も重要なものは、殺人、銃器を使用した自殺らしい事件、事故が疑われる発砲死、暴行事件その他の犯罪で銃器が使用されたものであろう。

 全米の銃器使用殺人事件の発生件数は、第1次大戦と禁酒法時代を除けば、現在が最も多いことは周知の事実である。また、犯人あるいは目撃者、あるいはその双方が、実際に起こったことを正直に語らず、刑事の捜査を誤った方向に導こうとしていることも良く知られている。そうであったとしても、事実をかき集め、それを適切、かつ分かりやすく提示し、さらには有罪か無罪かの証明を提供できるようにすることが刑事の役割である。

 元ニューヨーク市警察本部長のグローヴァー・ホエーレン(Grover A. Whalen)によって、ニューヨーク市警察大学校が設立されて以来、学校長のジョン・オコンネル(John J. O'Connell)副主任警部は、今や指紋の教育と同等の重要性を持っている銃器、薬きょうと弾丸の科学的識別法を、大学校の教科に含めてきた。この発射痕による銃器識別の鑑定結果は、確実かつ決定的なものである。

 殺人、疑わしき自殺や銃器が使用された事故の発生現場における刑事の興味の対象は、犯人はだれか、目撃者はいるかと並んで、周囲の状況、犯罪現場から採取された指紋、現場弾丸、容疑銃器や打ち殻薬きょうなどである。

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                犯罪組織の世界で使われる銃器類
   上段:トンプソン・サブマシンガン 中段:銃身を切り落とした散弾銃(ソードオフショットガン)
              下段:高性能サイレンサー付き自動装填式拳銃

 もちろん、容疑銃器が発見されない限り、現場弾丸と現場採取打ち殻薬きょう相互の比較しかできない。もし容疑銃器が現場弾丸とともに発見されたならば、比較顕微鏡を用いた鑑定や射撃試験を行うことができる。その鑑定結果は、現場弾丸が容疑銃器から発射されたものか否かを証明するものとなる。ただし、弾丸が体内を通過する際に、骨に衝突して切断されたり、弾丸表面に凹みや損傷が生じたり、弾丸表面の細かな特徴痕跡を破壊するまでに変形してしまった場合には、鑑定は不能となる。一方で、弾丸に相当程度の変形が生じていたとしても、弾丸の側面の重要な部分の損傷が少なければ鑑定は可能である。弾丸が被害者の体を貫通し、その後固い物体に衝突して、きのこ状に変形し、弾丸の側面の観察が不能になってしまえば、やはり鑑定は不能となる。貫通後の弾丸が跳弾して、弾丸の側面の一部が平坦化したり変形した場合でも、比較可能な部分が残っていることはある。

(3)銃身の製造法と銃器鑑定の原理
 銃器鑑定者が鑑定を行う上で、基本的原理となっている事項を理解するには、最初に銃器の銃身製造法について簡単に説明する必要があろう。銃身の製造過程で発生した痕跡が、銃身を通過する弾丸の表面に痕跡を残すからだ。これらの細かい痕跡が、それぞれの銃身の個性となっている。

 回転弾倉式拳銃、自動装填式拳銃やライフル銃の銃身の製造に際して、最初の行程は、銃身となる丸棒(ブランク)を落鎚式切断機で押し切って、所要の長さに切断することから始まる。この丸棒は、ドリルを用いて銃腔がくりぬかれ、続いて切削工具やリーマーを用いて適切な寸法に加工される。ここで加工された穴の表面が銃腔である。

 続く製造工程は、腔旋の加工である。腔旋とは、銃身の一端から他端まで、銃腔の表面に連続して切削されたらせん状の溝のことである。この溝は、弾丸が銃器から発射される際に、弾丸に軸周りの回転を与える。弾丸に与えられた回転モーメントによって、弾丸が頭部を常に前方を向けて飛翔するように、弾丸を安定化させる効果がある。弾丸は、銃身に突入した直後から腔旋の溝(旋底)に食い込み、回転を開始する。弾丸頭部の方向が安定することによって、弾丸の飛翔も安定する。なお、弾丸の前進方向の運動も、弾丸の回転が開始すると同時に始まっている。

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       A:腔旋カッターが2条目の旋底の切削を開始するところ
       B:腔旋カッターと腔旋形状を示す
       C:現実の腔旋カッターと腔旋の様子
         分かりやすくするため、図は強調して描かれている。
     (訳注:Bでは刃先と旋丘旋底が滑らかで、Cでは、それらがギザギザしているのだが、
         この絵では分かり難くなっているかもしれない。
       Bが右回転腔旋用のフックカッターで、Cが左回転腔旋用のフックカッターである。)

 銃身に腔旋が刻まれると、最初に加工された銃腔部分は、この腔旋の旋底と旋底の間に残され、その部分は旋丘として知られている。製造業者は、それぞれ独自の製造法の流儀を持っているため、旋底と旋丘の幅は製造業者によって異なる。幅の狭い旋丘と広い旋底の組み合わせの腔旋を加工する業者もあれば、その逆の幅に加工する業者もある。中には旋丘と旋底の幅が等しい業者もある。このように、同じ業者が加工した銃器の旋丘と旋底のパターンは同一で、それによって弾丸表面い付けられる痕跡も同一パターンとなる。そのパターンが、異なる業者によって製造された銃から発射された弾丸のパターンと同一になることはない。このことから、発射弾丸を調べれば、その弾丸を発射した銃器のメーカーと銃器の型式を知ることができる。ここで注意しなければならないことは、銃腔の凸の部分、すなわち旋丘は、銃腔を通過する弾丸には溝となった凹の部分と対応するということである。すなわち、弾丸の凹の痕跡は旋丘で付けられ、弾丸の凸の部分は旋底で付けられた痕跡である。

 すべての銃器メーカーや銃工は、腔旋の深さと幅、さらに回転ピッチについて、独自のパターンと仕様を決めている。メーカーが異なれば、腔旋の条数が異なる。たとえばあるメーカーは6条で他のメーカーは5条である。スミス&ウェッソンの腔旋の回転方向は右回転で、旋丘と旋底の幅はほぼ等しい。コルトの銃器の腔旋は左回転で、旋丘は狭く、旋底が広い。国内の他の銃器メーカーでは5条の腔旋のものが多く、一般的に右回転である。海外のメーカーは、腔旋の条数が4条から7条で右回転のものもあれば左回転のものもある。同じメーカーの物でも異なる仕様のものが見られる。

 銃腔内のらせん状の溝、すなわち腔旋を詳細に観察すると、その方向に沿った金属の物理的組織が均一でないことが分かる。金属組織の状態は、どこでも同じというわけではなく、いかなる2丁の銃器の銃身の物理的組織も、銃腔全長にわたって同一とはなり得ない。このような状況は、「腔旋カッター」として知られる腔旋を加工する工具に少なからぬ影響を与える。この種のカッターには2種類あるが、いずれも最も硬い鋼でできている。一つは、「フック・カッター」として知られているもので、鉤型をした工具である。もう一つは、「スクレイプ・カッター」として知られるもので、S字型をしている。

 これらの工具の刃先は、腔旋の加工開始当初には剃刀の刃先のように鋭い。剃刀を使って顔を剃る時のことを考えてみると、顔の片方のひげを剃っているときは切れ味が鋭くても、一方を剃り終えて顔の反対側を剃ろうとすると、すでに剃刀の切れ味が落ちていることを経験するだろう。顔の髭を剃ることによって、剃刀の刃の鋭い刃先が鈍くなってしまったのだ。この過程で、刃先の形状も実際に変化している。剃刀の刃先を顕微鏡で観察すると、肉眼ではまっすぐに見える刃先が、のこぎりの刃のようにギザギザとなってしまっている。剃刀の刃を皮で研ぐことによって、剃った時に作用する力でギザギザとなった刃を元に戻しているのである。

 腔旋切削工具の刃先も同様の状態となっている。腔旋カッターが銃身内を引かれるときの状況は、次のように説明できる。銃身を回転させながら腔旋カッターを引くことによって、らせん状の溝(旋底)が切削される。カッターの最初の切削によって、銃腔表面から1/1000インチの1/3(訳注:8ミクロン)の深さの切削が行われるように調整されている。これは、硬く鋭く仕上げられた刃先が、硬い鋼を切削することを考えて定められた量である。それでも、1回の切削によって、工具の刃先にはかなりの摩耗が生じる。また、この一連の切削作業の間に刃が研ぎ直されることはない。そのため、工具の刃先は連続的に形状を変化させ、条痕パターンが加工表面に残されることになる。鋭い刃先の細かい凹凸はすり減り、刃こぼれが生じ、刃先によって銃腔表面に残される条痕は常に変化していく。

 その他の、銃腔を識別する痕跡の原因となるものは、カッターによって除去された鋼の切屑で、それは丸まりながらカッターの進行方向前面の銃身内に常に存在する。その切屑によって擦過痕が残されるだけでなく、その切屑が銃腔表面から脱落した場所に破損痕を残す。ここで、もう一つのたとえをすることができる。材木をカンナで削る際、薄いカンナ屑が木材表面から排出される。このカンナ屑は、木材から脱落したもので、木材表面に、浅いが確認可能な脱落痕を残す。同じことが銃腔内で生じている。これらすべてのことを考え合わせると、いかなる2本の銃身も、全く同じではありえないとする主張が、きわめて正当なことと理解できるだろう。さらに言えば、1本の銃身に刻まれた複数の旋底の痕跡も同じではありえない。

(4)発射痕の検査法
 肉眼で見ただけでは、銃腔表面はなめらかに見える。しかし、顕微鏡で観察すれば、ここで説明した銃身を識別するための痕跡を検知でき、それを調べ、比較することもできる。弾丸は、平方インチあたり8000から16000ポンド(訳注:55 MPa~110 MPa)という高圧を受けながら銃腔内を通過する。このような高圧を受けながら弾丸が銃腔内を通過する際に、この痕跡は弾丸表面に伝搬する。弾丸の後方を押す強大な圧力は、弾丸を拡大させ、弾丸を銃腔表面に押し付けることから、銃腔の細かな痕跡まで弾丸表面に移す効果がある。顕微鏡で観察すると、これらの擦過痕の中に、他の痕跡より特徴的なものがある。一端で浅い条痕が、他端で深くなるものもあろう。銃器を使いこめば使い込むほど、擦過痕は特徴的となる。

 銃身に細かな欠陥でも存在するならば、銃器の固有性は高まり、弾丸の上には、さらに識別の確実性が高くなる特徴が残される。弾丸に残される痕跡は、弾丸が銃尾側から銃身に入った時から付けられ始め、弾丸が銃身を通過する間に変化し、弾丸が銃口付近の2、3ミリメートルのところで最後の痕跡となり、その痕跡を利用して発射銃器の識別が行われるということに注意してほしい。

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           腔旋の様子を示した回転弾倉式拳銃の内部断面図
       銃身内に、銃器の指紋ともいえる腔旋痕の付けられた弾丸を置いた

 薬きょう底部の痕跡で発射銃器を識別する際は、撃針や閉塞壁との接触によって薬きょうに残される痕跡が「指紋」の役割を果たす。銃器部品の製造過程では、銃身の製造のところで説明したことと同様に、加工工具の状態は部品製造過程で変化し、それが発射銃器識別の出発点となる。同一工作機械を用いて、同一に見える部品を連続生産したとしても、できた製品を顕微鏡で観察すると、それぞれの部品には必ず異なっている点がある。連続生産された撃針や閉塞壁でも、そこに残される工具痕や擦過痕は常に変化し続けており、発射の際の反動で、その工具痕が転写される雷管上の痕跡もそれぞれ異なったものとなる。このことから、散弾銃の打ち殻薬きょうの底部を利用して、発射銃器を識別することが可能となる。しかし、散弾銃の銃身は滑腔であることから、散弾銃から発射された散弾粒を用いて発射銃器の識別をすることはできない。

 自動装填式拳銃が使用された事件では、遊底頭痕に加えて、抽筒子痕と蹴子痕の比較も可能となる。これらの痕跡を調べることで、口径0.45インチの自動装填式拳銃用の打ち殻薬きょうが、どのような種類の拳銃、例えばスミス&ウェッソンの1917年型か、コルトの自動装てん式拳銃か、あるいはトンプソンのサブマシンガンであるかの識別ができるようになる。

 発射銃器の異同識別を行う方法は、現場弾丸あるいは現場薬きょうと、容疑銃器を用いて発射した試射弾丸あるいは試射薬きょうに付けられた微細な特徴痕跡を比較することで行われる。容疑銃器から試射弾丸を採取するには、採取時の損傷痕によって銃腔の特徴痕がつぶされないように、弾丸を綿くずの中に試射する。

 発射銃器の異同識別を、論理的に正確に行うことのできる鑑定者は、未だに2,3人しかいない。いわゆる銃器専門家の大半は、鑑定手法の限界を認識せず、何らの基準も持たず、さらに鑑定に必要とする機材も持たずに鑑定を行っているのが現状である。

 現場弾丸と現場薬きょうを、容疑銃器から得られる弾丸、薬きょうとの間で比較検査する上で、最も重要な機材が「比較顕微鏡」であることは、現在では共通認識となっている。比較顕微鏡とは、特別に設計された比較鏡筒のある複合顕微鏡で、2個の弾丸あるいは薬きょうが同時に観察可能となっている。この顕微鏡を用いると、現場弾丸と容疑銃器で発射した試射弾丸を、ともにレンズの下に置き、下の写真に示すように、それらを並べて観察することができる。それぞれの像は、比較鏡筒内に配置されたプリズムの働きで、一つの像として合成される。その結果として得られる合成像の半分は現場弾丸で、残りの半分が試射弾丸の像となっている。弾丸を顕微鏡の専用載物台にセットすると、そのメカニズムにより、それぞれの弾丸を独立に、あるいは同時に回転させることができる。

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     比較顕微鏡で、現場弾丸と試射弾丸を比較するとどのように見えるかを示した図
     両者の条痕が互いに対応している。

 一方の弾丸を固定したまま、もう一方の弾丸を回転させれば、回転させている弾丸のいろいろな場所にある痕跡の中に、固定した方の弾丸に見られる特徴痕と一致する部分があるかどうか探すことができる。両者の弾丸の発射銃器の口径と型式が同一であれば、回転させている弾丸の腔旋痕の幅とピッチが、固定したままの弾丸のそれと、どこかで一致することが確認できる。もし、それらが同一の銃器から発射されたものであれば、腔旋痕の幅とピッチが一致するだけでなく、どこか一か所では微細な条痕まで一致する部分が見付けられるはずである。このような場所を見付けることができたら、両者の弾丸を同時に回転させながら、弾丸の全周囲の痕跡が対応するか否かを比較検討する。薬きょうの底面の場合も、これと同様の方法で、薬きょうの底面に残された閉塞壁の条痕を比較検査する。

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            著者が新たに設計した、写真撮影用の弾丸と薬きょうの載物台
            弾丸用と薬きょう用の2タイプある

 顕微鏡で弾丸を比較検査して、痕跡が互いに一致することが分かったら、試射弾丸と現場弾丸との間の比較写真を撮影する。これらの写真は、裁判官と陪審員が鑑定結果を明確に理解できるようにするために用意するものである。

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   比較写真撮影用に穴を開けた鋼鉄ブロックに、対にして並べた現場薬きょうと試射薬きょう

 ここに、現場弾丸の写真3枚と試射弾丸の写真2枚がある。これらの写真は、貼り合わせて比較写真になるように並べてある。左から右へ順に、2枚の写真は現場弾丸と試射弾丸である。3枚目と4枚目の写真は現場弾丸である。もう1枚の試射弾丸の写真は、途中で切断してある。試射弾丸の弾丸底部側には、3枚目の現場弾丸の弾丸底部側の写真を貼り付けた。試射弾丸の弾丸頭部側4分の1の部分には、4枚目の現場弾丸の弾丸頭部側を貼り付けた。この合成写真によって、細かい条痕が一致していることが確認され、現場弾丸と試射弾丸とが同一銃器によって発射されたことの証明となっている。(訳注:この説明の対象となっている写真は、入手したコピーから省かれていた)

(2011.2.18)



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