銃器鑑定を批判するドナルド・ケネディーの宣誓供述書



(1) はじめに
(2) 科学技術と法律委員会での私の役割
(3) 報告書で得られた知見
(4) 銃器鑑定者からの反論と問題点
(5) 私自身の見解
(6) 銃器鑑定の結論の信頼性
(7) あとがき




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(1) はじめに
 米国学術研究会議が2008年に公表した「バリスティック・イメージング(Ballistic Imaging)」(概要はバリスティック・イメージング 米国学術研究会議(NRC)の発射痕データーベース(RBID)報告書の概要で紹介している)と、翌2009年に公表した「アメリカの法科学の強化-未来への道程(Strengthening Forensic Science in the United States, A Path Forward)」によって、アメリカの銃器鑑識界は大きな痛手を被った。バリスティック・イメージング公表時の米国学術研究会議の見解は、「この報告書は、発射痕画像データーベースシステムの非力さを明らかにし、現行のシステムに対して莫大な予算を割くべきではないという趣旨のもので、銃器鑑識そのものに対する批判を意図したものではない」とのものであった。ところが、その後、これらの報告書の作成に携わった人たちの中には、銃器鑑識の非科学性と、それらの証拠を裁判から排除せよとの主張をする者が現れた。

 ここで紹介する宣誓供述書を提出したドナルド・ケネディー(Donald Kennedy)はアメリカの科学界の重鎮で、「アメリカの法科学の強化-未来への道程」の編集時に、「科学技術と法律委員会」の共同議長を務めていた。宣誓供述書で述べられている経歴をまとめると、1956年にハーバード大学で生物学の博士号を得て、1960年からスタンフォード大学で講座をもち、1964年から1972年の間は生物学部長、1973年から1977年の間はヒト生物学研究所長、1979年から1980年の間スタンフォード大学副学長、1980年から1992年の間スタンフォード大学学長を歴任した。現在はスタンフォード大学で、環境科学政策の特任教授を務めている。以下、ケネディーの宣誓供述書を紹介する。この宣誓供述書は、アメリカ合衆国対ヴィンセント・マッコイ事件において、2010年12月にワシントンD.C.最高裁判所に提出された。タイトルは訳者が付けたものである。

(2) 科学技術と法律委員会での私の役割

 私は、2000年から2008年にわたって、サイエンス誌の編集長を務めた。サイエンス誌を発行しているアメリカ科学振興協会には262の関連学会があり、その中にはアメリカ法科学会も含まれている。

 私は米国学術研究会議の会員でもあり、2000年1月から2009年11月30日までの間、「科学技術と法律委員会」の共同議長を務めた。この役割は、科学技術界と法律界の橋渡しをし、相互のコミュニケーションの改善、相互理解の促進、両者の間に横たわる問題の解決にある。

 この委員会の共同議長を務めていた間、私は法科学界で解決しなければならない問題についての報告書「アメリカの法科学の強化-未来への道程」の編集に携わる候補者を指名する役割を担っていた。その候補者の選任にあたって我々が重視した点は、米国内で行われている様々な法科学分野の問題点を科学的に分析する上で、適切な人材を広範囲から集めることだった。私は、客観的で信頼性の高い報告書を、責任をもってまとめ上げることのできる人材を、偏りなく集めるように努力したつもりである。

 委員会の仕事として、法科学分野の鑑定手法を支える基本的な分析手法について、正しく評価する必要があることから、法科学研究所長などの法科学分野の実務家のみならず、法科学分野で用いられる仮定や分析手法に詳しい専門家や、統計学者のような実験や研究の適切な計画に詳しい専門家も委員に加えた。

 これらの候補者は、米国科学アカデミーの数段階の階層で承認を受けた後、米国科学アカデミー会長によって承認された。米国科学アカデミー会長は米国学術研究会議議長を兼務している。ここで選任された委員についてはパブリックコメントを受け付け、身元調査も行い、利害関係者について調査を行い、考え方や専門分野の業績についても調査した。このようにして選別した法科学の問題点を解析する委員達は皆、この問題に責任を持って対処できる、バランス感覚をもった著名な代表的な人物であり、米国学術研究会議は、このような委員に恵まれて大変満足したものである。

 委員会のメンバーは、様々な分野の法科学関係の大量の出版物や研究論文、報告書を精査し、さらにさまざまな人達の意見を聴取した。その意見聴取範囲には、銃器鑑定者も含まれていた。そして、これらの調査結果を、銃器工具痕を含め、報告書にまとめた。その際、これらの鑑定者に対して、その主張の裏付けとなる科学的文献の提出を求めた。「アメリカの法科学の強化-未来への道程」は、これらの委員の専門知識を総合した成果であり、それを皆で数か月にわたって検討した。その原稿は、様々な分野の人たちに査読をお願いした。その中には、多くの法科学者、科学者や統計学者が含まれていた。

(3) 報告書で得られた知見
 「アメリカの法科学の強化-未来への道程」という報告書には、銃器工具痕鑑定者が用いている鑑定手法の分析も含まれている。その手法を簡単に説明すると、痕跡の残されている実包構成部品と、発射銃器の分かっている実包構成部品(すなわち、容疑銃器から得られた試射弾丸類)の痕跡を、比較顕微鏡で並べて比較する作業である。これらの痕跡は、銃器の製造過程で、意図して、あるいは偶然に生じた銃器の痕跡が、実包部品上に移されたものである。ここで、鑑定者が、両者の資料の間に痕跡の「十分な量の対応」が認められると判断すれば、問題の実包構成部品は容疑銃器によって発射されたものと、高いレベルの確実性をもって主張できるとされる(この確実性の程度については、絶対に確実(absolute certainty)、科学的にみて妥当な確実性(reasonable scientific certainty)、あるいは実務上確実(practical certainty) など、様々な言葉で表現されている)。

 当委員会では、この「十分な量の対応」が、定量的にも定性的にも定義されていないことを指摘した。この分野では、異なる種類の銃器(製造法が異なる銃器)によって残される痕跡の多様性が大きいことが知られている。ところが、その痕跡特徴は定義されていないし、痕跡特徴の分類もされていないことから、鑑定の基準が設定できないのである。そのため現在の鑑定では、個々の鑑定者が各自の経験に照らして判断している。「十分な量の対応」痕跡が付けられる銃器が、容疑銃器以外に何丁存在するかは、現在のところ不明である。適切な検証研究を行えば、このような基本的なデーターは得られるはずである。ところが、委員会に提示された「検証研究」には、その研究計画に不備が多すぎて、この種の基本的データーを得る目的で一切利用できないものばかりであった。

 検証を受けた標準的な鑑定手法が存在しないことから、銃器鑑定者は、「個々の銃器には特有の痕跡がある」との仮定に頼り切っている。そして、痕跡パターンの間に「十分」な類似性があるので、「それらが同一銃器由来のものである」という結論を、客観的な基準から導くのではなく、鑑定者の受けてきた教育とその後の経験を根拠にして導き出している。痕跡パターンは、特定の銃器に固有のものであるとの仮定を根拠に鑑定している。委員会は、この「固有性」の仮定は全く証明されていないものと結論した。そして、銃器関連工具痕の固有性や、それがその銃器固有なものである確率を定量的に評価するためには、今後相当な量の研究をする必要があることを示した。

(4) 銃器鑑定者からの反論と問題点
 委員会の報告書に応えて、銃器鑑定者からは、発射銃器が既知の痕跡と発射銃器が未知の痕跡の両者を顕微鏡によって比較し、それらが同一の銃器によって発射されたものであるか否かを判断する作業は、これまで広く行われており、確立された技術である、と委員会に対して何度も申し入れがあった。銃器鑑定に対して多くの科学者が問題視した点は、痕跡パターンの比較作業そのものではなかった。そうではなく、標準的な手法が定められていないにもかかわらず、比較作業を行い鑑定結果を導いている鑑定者たちの見識であった。二つの物体に付けられた痕跡のパターンを比較し、観察された痕跡の類似程度から、それらが同一銃器に由来する痕跡であるとする結論を導いているが、その結論を支持する科学的に検証された有効な研究は一切存在せず、同種の銃器の間で、その程度の類似した痕跡がどの程度発生するかの推測値も存在しない中で、そのような結論を導いている点が問題なのである。

(5) 私自身の見解
   2003年のサイエンス誌に、私は「法科学は矛盾だらけ(2003年12月5日)」という論説記事を書いた。銃器工具痕鑑定は、そうした矛盾に満ちた分野の一つである。なぜならば、「その結論の信頼性は統計モデルで検証されてもいないし、その誤鑑定率についての信頼できるデータが一切存在しない」からである。したがって、「証拠が陪審員に提示されるときに、その信頼性は誇張されて伝えられている。」2年間にわたる精力的な研究の結果は、米国学術研究会議の総意として2009年の報告書として結実した。その中で次のように結論付けた。「銃器工具痕鑑定者が用いている鑑定手法では、痕跡の変動、結論の信頼性、結論の再現性、痕跡の相関の程度に応じた結論の確実性、などのどれ一つをとっても全く考慮されておらず、これらの問題を考えようともしていないことが明らかとなった。」「個々の工具や銃器の間で、痕跡がどの程度変動しているのかに関してほとんど調べられていないことから、何点の類似点があった時、それらが同一銃器由来の痕跡と結論しても、その結論の信頼性がどの程度であるか全く分からない。」結局、委員会の結論として、銃器工具痕鑑定は(他のパターンマッチング分野と同様)、「同一のものに由来」という結論(一般的には現場資料と試射資料とが「一致」したという用語で知られている)の確実性がどの程度であるかを厳密に示すことはできない。

(6) 銃器鑑定の結論の信頼性
   科学の分野では、我々の知識の限界を認識することは、その知識その物と同じように重要なことである。法科学分野に属する人たちは、残念ながら彼らの知識の限界を認識していない。「工具痕鑑定者の結論は、あいまいな判断基準に基づく主観的なものであり、誤鑑定率を推定する統計的基準も存在しない」ことに科学者なら誰でも賛同するであろう。このことは、銃器工具痕鑑定が役に立たないといっているわけではない。そうではなく、鑑定結果が我々に伝えることのできる事には限界があるといっているのである。

 現在銃器工具痕鑑定者たちは、(発射弾丸類を)特定の銃器と「妥当な科学的確実性をもって一致」させることができるとか、「実用的な確実性をもって一致と判断できる」とか主張していると私は伝え聞いている。これらの言い方は、米国学術研究会議と米国科学アカデミーの内外の科学者からなる委員会が勧告している結論の示し方とは、ともに真っ向から対立するものである。委員会は、銃器工具痕鑑定の技術は、痕跡パターンを特定の銃器と結びつけた場合、その結論の確実性を多少なりとも示すことができるところまでにも確立されたものではないとはっきり主張している。ここで示した銃器鑑定者による2通りの結論は、その結論の確実性が高いことを主張するものであり、もってのほかである。銃器鑑定者の主張のうちで我々科学者が容認できるものは、型式特徴によって、工具痕を付けた工具の対象範囲を絞り込むことができるというものだけである。これを裏返せば、型式特徴が同一の銃器は、発射銃器である可能性を払拭できないことを意味する。型式特徴が同一なすべての銃器を容疑銃器の候補から外せないことは、「科学的にみて妥当な確実性をもって」とか「実用的な確実性をもって」とかではなく、科学と科学者が一致して支持する事柄である。

(7) あとがき
 この宣誓供述書を読み返してみて、ドナルド・ケネディーの最終的に主張したいことは最後の部分と思う。すなわち「型式特徴が同一なすべての銃器を容疑銃器の候補から外せないことは明らかである。」という点である。これは、警察の押収した容疑拳銃以外の、型式特徴が同じこの世に存在するすべての銃器を容疑銃の可能性から排除できない、という主張と読み取れる。それらすべてを調べる、あるいは適切に評価していない警察・検察側の鑑定は無効だ、ということになるだろう。私の銃器鑑定者としての仕事は、周囲にあるこのような主張を否定することから出発した。それは、約40年前にさかのぼる。

 日本の戦後の銃器鑑定を築いた人は、その時すでに引退していた。その人は、当時の周囲からの評価はさておき、自分の仕事に自信を持っていた。自分の仕事に自信を持つということは、自分の観察結果や自分の測定値に自信を持っているということで、それらのデーターは積み上げられていた。ただ、別の機会にすでに述べたが、そのようなデータは公表する場もなく、公表されずに終わっている。

 一方、その後の第2世代の人たちは、自らの計測値よりもアメリカなどの海外のデータを尊重するようになる。当時はアメリカのマシューズのデーターが最も尊重された。マシューズのインチ単位のデーターをメートル法に換算し、発射銃種の推定に際しては、自らのデータではなくマシューズのデータを参照していた。というより、マシューズのデーターがあるので、自らのデータの集積は行われていなかった。そして、現場弾丸の腔旋痕諸元と同程度の腔旋諸元を有する銃種をマシューズのデーターから検索し、ヒットしたものをすべて候補銃器として列挙するのである。国内では見たことも聞いたこともないような銃種であっても、それらを除外することはなかった。それらを除外できるだけの基準を持っていなかったのだから、それは正しい判断かもしれない。普通の人の知らない銃種名まで容疑銃器に含まれるため、見方によれば知識豊富な鑑定者として尊敬されるかもしれない。しかし、それらの珍しい銃種が当たっていたことはめったになかった。それでも、たまには聞いたこともないような銃種が実際に用いられていることもあった。そのようなことが1件でもあれば、この種の鑑定法が正当化された。

 「型式特徴が同一なすべての銃器を容疑銃器の候補から外せないことは明らかである。」とのケネディーの主張を聞くと、当時のことが思い出されて何とも胸糞悪い。大昔の銃が犯罪に使用されることはめったにない。ATFの研究で得られた結論を端的に表した言葉に、
Time to crimeというものがある。「購入された銃器が、短期間に盗難に合ったと報告された場合は、その銃器の購入者は善良でない可能性が高い。その盗難拳銃は、その後犯罪に使用される可能性が高い。横流し目的で購入された銃と推定できる。犯罪に使用される銃器は、最初に販売されてから数年以内のものが多い。」といった調査研究結果を端的に表した言葉である。もちろん銃器の耐用年数は長く、極めて古い骨董品的な銃器が犯罪に用いられることもある。ただ、犯罪に使用される可能性はすべての銃器で同等に考えるという発想は、それこそ統計を全く評価していない人の考え方と思われる。

 さらに言うと、たとえ型式特徴が同一であろうとも、細かな条痕を観察するまでもなく発射銃器の可能性を即座に除外できる場合がきわめて多いということである。設計上の値が同一な銃器を型式特徴が同一な銃器というが、その中には銃身の耐用限度一杯まで使用した銃器も含まれる。型式特徴が同一の新品の銃器と、銃身の耐用限度まで使用された銃器の発射痕はまったく異なる。発射痕を見て、どの程度使い込まれた銃器から発射された資料であるかを推定する技術は鑑定の基本である。それを知っていれば、型式特徴が同一の銃器すべてが容疑銃器の候補から外せないなどとの発言は絶対に出てこない。痕跡の変化が銃器の使用や誤用による変化と考えられるか、異なる銃器による痕跡なので合わないのかも、当然鑑定の経緯に含まれる。

 批判する側は、すべての可能性を万遍なく考慮し、容疑銃器の事前確率を無視する。しかし、実際には、発砲事件の発生した周辺に存在するごく限られた銃器だけを対象に考えればよいのであって、地球上のすべての銃器を可能性の対象に含める必要はない。厳密な計算をしたら、銃器鑑定者の結論に根拠がないという主張も、多くの場合で鑑定者の結論が正しかった現実があり(少なくともエラーレイトが50%以上というようなことはない。それなら誰でもおかしいと気が付く)、厳密な理論をあてはめようとしている人の考え方の方が、実は厳密でないことに気が付く必要がある。

 日本では、拳銃所持は違法であることから、すべての拳銃の痕跡を観察できる立場にいた。アメリカでは、銃器所持の権利が憲法修正第2条で認められているとの解釈があることから、犯罪に関係ない銃器の調査はできず、また量が多すぎて全体像の把握は困難な面がある。日本ではサンプル調査ではなく、押収拳銃の悉皆調査が可能で、そのデーターは大切にしてきた。その上での結論は、事前確率と痕跡の対応状況の評価をいかに適切に組み合わせるかが重要だということである。その結果得られた結論のエラーレイトは、鑑定批判者らの主張するエラーレイトよりきわめて低いはずである。そのことは、鑑定批判者側の仮定に誤りがあるからである。銃器鑑定者側のデーターは一流誌に公表されたものでないことから一切使い物にならないとか、そもそもデーターが存在しないとか決めつける人がいるが、鑑定者は不完全なデーターであっても、その使用法をよくわきまえているから適切に利用できていると考えた方がよい。

(2011.10.19)



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