線条痕と死にかけの鮫


事件概要

 見通しの悪い雨の日に、バイクの交通事故が発生した。被害者の弁護士は、大手の運送業者を訴える証拠資料を用意するが・・・・。その線条痕の比較写真に隠されたトリックとは?



オリジナル写真を用いた解説

 このエピソードでは、被害者の弁護人が鑑定を依頼した鑑定人は、工具痕を35mmリバーサルフィルムで撮影し、そのリバーサルフィルムに透過光を当てて、比較顕微鏡で線条痕の比較対照を行ったという。この比較対照写真は、オリジナルのものもカラーではなかった。今なら、フィルムスキャナーで取り込んで、パソコンで比較作業を行うところだろう。

図26のオリジナル写真のコピー
                 図26のオリジナル写真のコピー

 ここに示された比較写真は確かにぼやけていて分かりにくく、線条痕が合っているといえばいえるが、良く分からない写真である。線条痕の鑑定を専門としているものにとっては残念であるが、このような場合は、付着塗膜片の方から、より真実に迫る手がかりが得られたのかも知れない。赤で囲んだ部分に、鮫の背びれ状の形が見える。

 工具痕(線条痕の対応関係)の鑑定は、物と物との接触関係を直接証明するものではなく、線条痕の対応関係が異常に良好な部分があった場合に、「その痕跡は、それらの物体が互いに接触して生じたものとしか考えられない」、と結論するものである。その結論を導くための過程は、
(1)それらの物体が接触した可能性のある場所を探すこと、
(2)そのような場所があった場合に、物体全体の変形状態や位置関係から、それらが実際に接触した痕跡と考えて矛盾がないかを検証すること、
(3)その後、痕跡の微細な部分の対応関係を検証する、
という手順を踏むことになる。

 発射弾丸や打ち殻薬きょうの痕跡の場合では、弾丸や薬きょうが銃器の特定部位としか接触しないことが前提としてあり、上記の(1)と(2)の確認手順が単純化可能で、定式化されている。

 一方、互いの運動の間に拘束関係が弱い交通事故の場合には、互いの接触場所を探すことがまず問題となる。また、微細な痕跡より、車両の大きな変形状態の方が確実性の高い物証となるであろう。本事例のように、高速で回転している車輪に接触したとされる場合では、そもそも特定の場所同士が接触し、その部位に対応線条痕が存在するという考え方そのものに疑問が生じる。

図27のオリジナル写真のコピー
                  図27のオリジナル写真のコピー

 赤で囲んだ部分に、鮫の背びれ状のものが見えるが、図26と比べると、上下が逆になっている。死にかけの鮫がひっくり返って泳いでいるように見えることから、このエピソードの題名となっている。比較写真作成の際の、リバーサルフィルムの方向、表裏の管理が徹底していなかったことを示している。

 本書では、「硬い物体が柔らかい物体の表面を擦った場合に、柔らかい物体には硬い物体の特徴が痕跡として残される。その後、その硬い物体で改めて擦った対照資料を作成し、その対照資料の痕跡と柔らかい物体表面の痕跡とを顕微鏡で比較して、同一の物体によって擦られたものであるか否かを決定できることがこの分野では知られている。」と説明されている。

 この説明でほぼ良いのだが、硬い物体と柔らかい物体の双方に痕跡が残されることが多い。本件の場合、その両者の物体表面に残された擦過痕を写真撮影し、撮影されたフィルムを比較している。両者の表面に擦過痕が残されているからできることである。工具痕の比較作業では、通常、問題となった工具によって新たに対照痕跡を作成する。たとえば、問題となっているドライバーを用いて、試験試料の表面に新たに擦過痕を付け、その痕跡と犯罪現場に残された痕跡、たとえばドアをこじ開けたときに残された痕跡、あるいはその表面から採取したレプリカの痕跡と比較する。


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