銃器工具痕の鑑定分野の大先輩であるチャーリー・メイヤーズ本人から、銃器工具痕鑑定を紹介した著書を出版したと聞かされた。早速購入し、一読して翻訳を決断した。
チャーリーとは1980年代後半に、AFTEの判断基準策定委員会で親しくなった。知り合ったときは経験豊富な好々爺との印象を受けたのだが、その後大分経ってから、若い頃の眼光鋭く精悍な、いかにも警察官という姿を古い写真で知った。
銃器が関係する鑑定は、扱う対象の特殊性から、米国では技術職員ではなく警察官や軍関係者が行うことが多かった。現在でもオーストラリアでは警察官が主に行っている。訳者は、チャーリーやアルフレッド・ビアゾッティといった、米国の銃器鑑識の大御所と共通の問題意識で議論できる幸運に恵まれた。ともに戦争中は敵国として戦った経験を持つ方々であったが、すでに思い出話として語られる時代となっていた。
本書では、実際の事件解決とその後の裁判に銃器工具痕鑑定がどのような役割を果たすかが分かりやすく紹介されている。できるだけ原著に忠実に訳したつもりであるが、分かりにくいところがあれば訳者の非力が原因である。
原題の「Silent Evidence」は「物言わぬ証拠」のように訳されることもあるが、存在しているのに見つけるのが難しい証拠であって、見つけてあげれば雄弁に語りだす証拠であることから、「隠れた証拠」とした。
なお、図19、26、27には、読者が理解しやすいように原著にはない印をつけた。本書の写真の中には写りが悪く見えるものがあるかもしれない。しかし、本書の事件の多くは古いものであり、逆に当時の写真の保存状態が良いことに訳者は驚かされた次第である。
読者の中には、なぜここでDNA鑑定が出てこないのだろうと歯がゆく思われた方もいらっしゃるであろう。同じ理由から、本書の事件の大半はDNA鑑定が普及する以前のものなのである。
本書の付録で紹介されているように、米国では指紋、足痕跡、発射痕、工具痕等の鑑定の科学性が批判の目で見られることがある。本書を仕上げる直前に出席した香港で開かれた国際法科学会でも、物理的痕跡鑑定の科学性はDNA鑑定の科学性に劣り、法科学の分野に含めることができないのではないかという主張もなされた。
このような疑念が生じる最大の原因は、痕跡の再現性が期待するほど高くないことにある。事例によっては痕跡の対応関係がそれほど良好に見えないのに、積極的な結論を導いていると思われるのだろう。多くの線条痕があっても、そのうちの連続した数本が対応していれば、同一工具に由来する痕跡であるとする結論は理解されにくいのかもしれない。ドーバートの条件から、どのような鑑定手法も裁判で証拠として採用されるためには、その手法による誤判定率を明らかにする必要がある。
米国の調査では、発射痕の鑑定の誤判定率は、さまざまな経験レベルの鑑定者の結果を総合した場合でも1%以下である。また、過去の多くの事例で正しい結論を導いてきたことがその手法の正当性をもっとも端的に示しているといえる。鑑定に携わるものとして、正しい鑑定結果を出し続けることによって、鑑定の信頼性をさらに高めるべく努力している次第である。
国内でも裁判員制度が導入されると、この種の鑑定の意味を法律関係者以外が吟味しなければならない状況が出てくることも予想される。国内の現実の事件を紹介することには慎重にならざるを得ないが、訳書であることから警察の捜査や鑑識活動の立ち入った部分も紹介できたと考えている。本書が警察の行っている鑑定作業を理解する上で少しでも参考になれば、訳者の喜びとするところである。
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