科学的証拠の証拠能力に関するフライの基準



アメリカ合衆国の裁判制度における科学的証拠の認定基準で、フライの基準-フライ・ルール(Frye Rule)あるいはフライ試験-フライ・テスト(Frye Test)と呼ばれる。

被告人フライの刑事裁判の上告審において、1923年に下された決定で、新規の科学的証拠が、実験レベルやデモンストレーションのレベルを脱して、信頼性のおける実用レベルになっているものであるか否かを判断する基準を定めたもの。その基準として、その特定の分野の科学者すべてから有効として認知された手法であることが必要であるとされた。

この裁判で問題となった科学的証拠は、嘘発見を血圧測定によって行う手法であった。決定では、血圧測定による嘘発見手法は、その専門分野で、いまだ信頼性が高い手法として皆が認めたものではないとして、その証拠能力を退けた。この決定により、以後アメリカ合衆国ではポリグラフ(嘘発見機)の証拠が裁判では採用されないことになった。

アメリカ合衆国では陪審員制の裁判を行っており、証拠能力を陪審員に評価させるのではなく、裁判官が判断することによって、陪審員の負担を軽減する必要性から、このような基準が使われ続けたといわれる。

一方、新しい科学技術に基づく証拠の場合、この基準をクリアすることは意外に難しく、新技術が証拠として採用されにくくなった。たとえ新しい技術の信頼性が高い場合でも、その技術を批判する人が少しでもいれば、その技術は裁判の証拠として採用されない。どのような技術であっても、反対論者はいくらでも出てくることから、この基準をクリアすることは難しい。

たとえば、イオンマイクロプローブを用いた微量成分分析に基づく毛髪の異同識別を始め、新規に開発された分析機器を用いた分析結果は、この基準によって次々と退けられた。声紋分析や筆跡鑑定もフライの基準を満たさないものとされた。

工具痕やその一分野である発射痕の鑑定は、フライの基準を満たしていることから、裁判の度にフライ・テストを受ける必要がないものと長い間みなされてきた。ところが、フライの事件から70年余り経ってから、工具痕鑑定がフライの基準を満たしているか否かが問題とされる裁判がでてきた。現在米国では、フライ・テストに代わりドーバート(Daubert)の条件を採用する州が半数を超えたが、フライ・テストを使い続けている州もいまだ多い。

フライ裁判

事件の発生から1審判決まで

科学的証拠能力に関するフライの基準が提示されたフライの刑事裁判は、今から90年近く前の事件である。その裁判の過程で裁判官が示した判断は、その後のアメリカ合衆国の裁判にきわめて大きな影響を与えることになった。その一方で、事件の内容や裁判の経緯に関する情報は既に風化し、様々な異なる情報が流布されることとなった。互いに矛盾する各種の文献を総合して、事件とその後の裁判の経緯に関して、もっともらしいと思われるものをまとめてみた。

被告人フライの起訴事実は以下のとおりである。

1920年1月25日午後5時30分頃、この事件の被告となる黒人青年ジェームズ・アルフォンソ・フライ(James Alphonso Frye)は、裕福な黒人の医師ロバート・W・ブラウン(Robert W. Brown)宅を訪れた。その時ブラウン医師は不在で、そこに居合わせたジュリアン・D・ジャクソン医師(Julian D. Jackson)が入り口でブラウン医師の不在を告げると、フライは出直すといって一旦帰った。午後8時45分になって、フライは再びブラウン医師のもとを訪れたが、ちょうどその時ウイリアム・ロビンソン(William Robinson)という男が来院した。フライは、自分は急がないからとロビンソンに先を譲った。

病院を後にするとき、ロビンソンはサングラスをかけているフライを見た。ロビンソンが帰ると、フライはブラウン医師宅に入って行った。ジャクソン医師がフライに会うのは、その日は二度目であったが、フライが現金らしきものを手にしているのを見たという。ジャクソン医師は、フライがブラウン医師に対して、「この金ですることを決めた」とか、「物言わせてやる」との内容を口にしているのを聞いた。それに対してブラウン医師は、「何も決めていない」とか、「何を言っているのか分からない」と答えているのを耳にした。その後ジャクソン医師はキッチンに戻ったが、その直後に彼は銃声を耳にした。彼が急いで廊下まで戻ると、そこには拳銃を手にしたフライがおり、フライは廊下に倒れているブラウン医師に対して2発目を発射した。その後、フライは死体を飛び越えて、家の外に逃げ出した。ジャクソン医師がフライを追いかけると、フライはジャクソン医師に向けて拳銃を発砲して逃走した。

フライは、この事件から約1年半後の1921年7月21日、その地区で強盗を働き逮捕された。フライは、この強盗の罪で有罪とされ、4年の刑を言い渡された。

1921年8月16日にフライはブラウン医師殺害の疑いで再逮捕され、1921年8月22日にワシントンD.C.警察本部のポール・W・ジョーンズ(Paul W. Jones)刑事にブラウン医師殺害を自白した。フライは1922年3月10日に計画殺人(第1級殺人)で起訴された。

弁護側はフライが主張するアリバイに関する証人を見つけることができなかったため、1922年6月10日に、血圧測定によって行う嘘発見検査をフライに対して行うことにした。この検査は、質問を行うたびに最高血圧を測定するという荒っぽい検査であった。この検査を行ったのは、この検査法を開発した弁護士のウイリアム・マーストン(William Marston)であった。この検査の結果、マーストンはフライの無罪の主張に嘘は全く含まれておらず、フライのブラウン医師殺害に関する自白は嘘であると結論した。

フライの殺人罪に関する裁判は、ワシントンD.C.の裁判所で1922年7月17日から20日にわたって開かれた。裁判官はウォルター・I・マッコイ(Walter I. McCoy)であった。弁護側は、フライ自身のアリバイ証言とマーストンの嘘発見機の検査結果の証言を行う計画であった。ところが、マッコイ判事は、マーストンが証言することを拒否すると共に、マーストンが法廷で嘘発見機を用いた実演を行うことも却下した。そのため4日間の法廷では、フライの自らのアリバイ証言以外に十分な弁護活動はできなかった。フライはアリバイがあるとして潔白を主張した。殺人のあった日は、彼は深夜までエシー・ワトソン婦人(Essie Watson)宅に滞在していたと主張したのだ。しかし、ワトソン夫人は病床で裁判での証言はできなかった。

ここで、マーストンの嘘発見機による検査結果の証拠能力についての議論が陪審員の面前で行われたため、陪審員は嘘発見機の検査結果がフライの無実を示したものであることを知ることとなった。陪審員は3時間に及ぶ審議の結果、死刑の罪に当たる第1級殺人では無罪の、無期懲役の罪に当たる第2級殺人では有罪の評決を下した。

マッコイ判事がマーストンの嘘発見機による検査結果の証拠能力を棄却した理由は、検査結果は正しいかもしれないが、絶対的な正確性を示す根拠がないことから、これをもって無罪とすべき証拠とするには正当性を欠くというものであった。

フライ裁判 上訴審

フライの弁護人であるリチャード・V・マッティングリィー(Richard V. Mattingly)は、マッコイ判事がマーストンの検査結果を証拠採用しなかったことを不服として上訴した。

フライが上訴審で無罪を勝ち取る上では、彼がジョーンズ刑事にブラウン医師殺害を自白していることが最大の障害であった。弁護人は、フライが沈黙を保つ権利(ミランダの権利)を十分伝えられておらず、彼の自白は強要されたものであり、1審でフライの自白内容をを証拠採用したことは誤りであると主張した。そして、1審における合計8点の誤りを主張したが、そのうちの4~8の5項目が最高血圧検査に関する証拠を除外したことが誤りであることを主張したものであった。

フライの上訴審は1923年にワシントンD.C.の巡回控訴裁判所で開かれた。判事のヴァン・オーズデル(Van Orsdel)は、その後有名となる、「新たな科学技術に基づく証拠を裁判で採用するためには、その科学技術分野の専門家に広く認められているものでなければならない。」とする科学的証拠の証拠能力を判断する基準を書き上げた。オーズデル判事は、マーストンの検査手法のどの点が不適当であるといった具体的な理由はあげず、その分野の専門家の意見の一致に判断を預けたのである。

上訴審で敗訴したフライは2級殺人で無期懲役刑となったが、1939年6月17日仮釈放された。これは1921年8月16日の逮捕以来、17年10ヶ月後のことであった。これは恩赦の扱いではなかった。

その後有名となったフライの基準は以下のようである。

「科学的原理や発見が、実験レベルやデモンストレーションレベル越えたものになっているか否かを明確にすることは難しい。それが実験レベルと実用レベルの中間の段階にあると認められる限り、その種の証拠に関する専門家の証言に対する裁判所の対応としては、その証拠が属する科学分野において一般に認められていて、十分に確立され、広く認知されている科学的原理や発見から導かれたもののみを証拠として認めることが、回り道であっても確実である。」

フライ事件の経緯に関する異説

フライの殺人事件の経緯に関して、その後多くの誤った報告がなされた。ジェームズ・アラン・マット(James Allan Matte)が著した、ポリグラフ手法の技術と科学(The Art and Science of the Polygraph Technique)の記述もその一つである。

マットによれば、フライは強盗事件で逮捕された際、当初は殺人事件への関与を否定した。ところが、ある「友人」からブラウン医師殺人の罪を認めれば、500ドル提供するといわれて罪を認めた。だが、その後になって、その友人に騙されたことが分かったので再び否認に転じた。しかし、その後の話は誰も聞き入れてくれなかった。フライの無実の証明のため、弁護人は最高血圧を利用した嘘発見機の発明者であるウイリアム・M・マーストン博士(Dr. William M. Marston)に検査を依頼した。その結果、フライは殺人事件に関与していないとの鑑定結果が得られた。

しかし裁判所は、マーストン博士の血圧変動によって行う嘘発見の検査手法は、科学界で一般的に認められた手法でないとして棄却した。しかし陪審員は、その検査結果に影響を受け、フライの罪を第1級殺人から第2級殺人へと減刑したことから、彼の命は救われた。

その後のさらなる捜査の結果から、フライに罪を認めるように言った「友人」がブラウン医師殺人事件の真犯人であることが判明した。これにより、フライは3年後に釈放された。

フライが有罪判決の3年後に釈放されたことは、1948年に出版されたニューヨーク司法協議会の年次報告書にも記載されているという。

フライの証拠として使用された嘘発見機について

フライの無実の証明のため、弁護人は最高血圧を利用した嘘発見機の発明者であるウイリアム・M・マーストン博士(Dr. William M. Marston)に検査を依頼した。この検査は、通常の医療用の血圧測定器を用いたものであり、質問の度に最高血圧を測定し、血圧上昇が認められれば嘘をついており、血圧上昇がなければ正直な答えをしているものと判定される。これは、現在のポリグラフと比較すると、きわめて原始的な装置であった。それでも、マーストン博士は、フライが殺人事件への関与を否定する際に、正直に答えていることを判別できたという。

マーストンは弁護士出身で、この嘘発見機の知見を論文にまとめて博士号を得ている。

フライの恩赦嘆願書の内容

フライが1936年9月21日に提出した恩赦嘆願書には、次のように記載されている。

事件の3、4日後に、ジョン・R・フランシス(John R. Francis)という歯医者が、ブラウン医師を射殺したと私に打ち明けた。フランシスとポール・ジョーンズ刑事とは親しい間柄である。

フランシスは、ブラウン医師を射殺した後逃走したが、その際ブロードワックス(Broadwax)といった名前の男に目撃されてしまった。事件の日にはブラウン医師邸でパーティーがあったが、客の中にはジュリアン・ジャクソン医師が含まれていた。フランシスは、ジャクソン医師が自分の顔を覚えているものと心配したが、地方刑務所収監中に訪れたジャクソン医師は、彼の顔を識別できなかった。

フランシスはブラウン医師を射殺後、帽子を取り替えた上でロイス・ダンロップ(Lois Dunlop)という名の女性とともにブラウン邸に戻り、警察の捜査を見つめた。フランシスはブラウン医師に脅迫状を2回も送りつけたが警察沙汰にならなかった。その理由は、ブラウン医師の運転手を務めるブラウン医師の甥であるロバート・ジョーンズ医師(Robert Jones)が、麻薬常習者で、刑務所勤めをしている人間だからだとフライに語った。

ここで現れるフランシスが、その後フライの「友人」として語られることになった人物と考えられる。

フライは事件当日、深夜までエッシー・ワトソン婦人宅に滞在していたとしてアリバイを主張した。しかし、ワトソン夫人は病床で裁判での証言はできなかった。ただ、1934年に開かれたフライの恩赦申請の審議に際して、ワトソン夫人が臨終前に病床で録取された供述録取書がその他の証拠とともに提出された。

仮釈放後のフライの人生

科学的証拠能力に関する基準の名称として永遠にその名を残したフライは、1939年6月17日に保釈された。保釈後、彼はワシントンD.C.内に家を購入した。第一次世界大戦の退役兵であった彼は、米国在郷軍人会のジェームズ・リース第5ヨーロッパ派遣軍会に参加することができた。またフライは、保釈された年から結婚生活を送ることになった。しかしフライが家庭を顧みることはあまりなく、夫人にとってはさびしい結婚生活であった。その上彼は1948年2月に家を飛び出し、1953年1月8日に58歳で死亡するまでの間、二度と家に戻るどころか、妻に連絡を入れることもなかった。

フライは第一次世界大戦中、第153方面旅団の第50中隊の兵卒を務めたことから、アーリントン国立墓地の33区画の6230番に埋葬されている。その場所に続く通りやフライの墓所からは、ジョン・F・ケネディー元大統領の永遠の炎が見える。

科学的証拠の証拠能力の一律判断基準に対する批判

フライの基準によって、米国では嘘発見機(ポリグラフ)の検査結果は、裁判で証拠採用されなくなった。フライの基準は、証拠そのものではなく、証拠を導く手法の有効性を判断する基準となった。しかし、科学的証拠には、その手法そのものの問題より、その手法の用い方が問題であることが多い。フライの裁判では、嘘発見機の検査結果から無罪を証明しようとした。それも、犯罪発生から1年5か月も経てから行った検査結果によって証明しようとした。このような状況では、その検査手法の一般的精度とは別に考慮しなければならない問題が多い。

検査手法には肯定する力と否定する力が大きく異なるものが多い。工具痕でも、痕跡の対応関係がきわめて良好であれば、同一工具由来痕跡と結論できるが、痕跡が対応しないからと言って、異なる工具由来の痕跡とにわかには結論できない。同一工具でも工具の先端形状が変化してしまったかもしれないからである。

遺体の骨の形状と、生前に撮影されたX線写真の映像の寸法を比較して、同一人の骨であるか否かを判定する検査法がある。X線写真は、被写体とフィルムまでの距離が変化すると、撮影される映像の拡大倍率が変化するので、これはそれほど単純な技術ではない。この検査法は、体格が同様であるか否かの判定を行う手法であるが、骨の大きさが大きく異なれば異なる人物であるとの確かな結論が得やすい。その一方で、寸法が同等の場合には、同一人であるのか、体格が同様の異なる人物の骨であるのかの区別は必ずしも容易でない。

警察が捜査で行うポリグラフ検査は、ほとんどの場合で有罪の証明のためであり、無罪の証明のために積極的に行われることは少ない。有罪を証明しようとしてポリグラフ検査を行い、その検査結果が陰性であっても、容疑が晴れたわけではないとされる場合も多い。陰性なら即無罪とできないことが経験上知られているわけで、それだから被告側が検査結果が陰性だから無罪の主張をするのは許せないはずである。そもそも、検査結果が絶対でないことは経験上知られているわけだから、フライの基準がポリグラフの証拠能力を否定していることはあながちおかしいことではない。

同様のことは、かって硝煙反応として知られた亜硝酸反応を用いた射撃残さ検査などにも当てはまる。射撃残さが検出されれば銃を撃ったとされるが、射撃残さが検出されないと、銃を撃たなかったとは結論されず、銃を撃ったが、その後で手を洗ったか、残さが脱落したのだろうとされて疑いは晴れない。射撃残さが検出されないことが無罪の証明にはならないのである。一方で、煙草を吸った指は亜硝酸反応に陽性を示すことから、いわゆる硝煙反応が検出されたからといって、銃を撃った証明にはならない。このことから、米国では硝煙反応は証拠価値を失った。銃を撃った直後の手を調べれば硝煙反応が陽性となるという事実は存在しても、その検査結果から結論できる事柄は確実ではない。

このように、特定の検査手法から得られる結論は、手法の適用方法によって結論の精度が変化することが多い。精度が低いことがあり得ることをもって検査手法そのものを否定してしまうと、安全に用いることのできる検査手法はごく限られたものとなってしまう。

フライの基準によって、米国では嘘発見機(ポリグラフ)の検査結果は、裁判で証拠採用されなくなった。これに対して、ポリグラフ関係者からは、マーストンの手法よりもっと洗練されたポリグラフ手法が開発された後に証拠として活用すれば、手法そのものが却下されるようなことはなかったのではないかとして、マーストンの勇み足を批判する声がある。

確かに、フライ裁判によって嘘発見検査全般がその後否定されてしまったのだが、マーストンはそこまでのことは予想できなかっただろう。

フライ基準を満たさないとして棄却された工具痕鑑定-ラミレス事件

工具痕鑑定は、米国では1879年から証拠採用されてきた鑑定技術である。そのため、現在では新規な科学技術とはみなされず、裁判の度にフライの基準を満たしているか否か吟味されることはないと考えられてきた。しかし、工具と加工品(ワーク)の種類や、その組み合わせ、鑑定の際に用いた手法によっては、必ずしもフライの基準を無条件に満たしているとはされないことが、ある事件をきっかけに明らかとなった。フロリダ州で争われたラミレス事件である。フロリダ州は、科学的証拠の証拠能力をフライの基準で判断している州である。

この事件では、ナイフによって肋骨の軟骨部分に残された痕跡と、その痕跡を付けたナイフとを関連付けた工具痕鑑定が、フライの基準を満たしていないとして棄却された。

ラミレス事件 発生から1審の死刑判決まで

1983年のクリスマスの日の早朝、フロリダ州マイアミにあるフェデックス社で、27歳の夜間勤務の配送係の女性の刺殺体が発見された。死体の周りには、血だまりとともに飛び散った血痕が残されており、格闘の跡がうかがえた。40キログラム近くあるテレックスの機械がなくなっており、その破片とともに、血を拭ったペーパータオルが落ちていた。女性用トイレの手洗いの温水が出しっぱなしとなっており、約430ドル入りの郵袋が紛失していた。被害者の手には毛髪が握られていたが、その毛髪はその後、被告(ラミレス)のものではないと判明した。また、死体の横30cmのところに位置していたドア枠からは部分指紋が検出された。この指紋は、フェデックスの事務所と個人契約している清掃員の指紋と一致した。この指紋証拠に基づき、清掃員ジョセフ・ラミレス(Joseph Ramirez )が逮捕され、第1級殺人で起訴された。

捜査の結果、ラミレスは12月24日の午後、フェデックスの事務所の清掃を行っていたことが判明した。被告の女友達の証言によれば、彼はその日の午後9時ごろ、彼女の車を使って友人のところに出かけていた。そして、翌日午前5時半ごろ目が覚めた時には帰宅していたという。女友達の車を捜査した警察は、彼女が護身用に車内に置いていたというナイフを発見した。彼女の証言によれば、クリスマスの後、そのナイフが台所の流しに置いてあるのを見つけ、洗っておいたものを、被告が紐か何かを切るに必要だというので車に戻しておいたものだという。ナイフからはわずかな血痕が見つかったが、微量のため、誰の血痕であるかを確定できなかった。

被害者の死因は、胴体への多数の刺し傷と、鈍器による頭部の損傷であった。解剖時に、解剖医は被害者の胸部の軟骨に工具痕を発見し、その部分を切除して比較検査用に保存した。胸部軟骨の工具痕と被告の女友達の車から発見されたナイフとの比較検査が、工具痕・発射痕鑑定の専門家に依頼された。

予備審問及び大陪審で、工具痕の専門家として認められている鑑定人は、胸部軟骨に残された工具痕は、車から発見されたナイフによって残されたものに間違いないとの宣誓証言を行った。この結果、陪審員は被告に第一級殺人で有罪の評決を行い、死刑が言い渡された。

ラミレス事件 上訴審

被告のラミレスは、第1審で証拠採用した女友達の車から発見されたナイフが殺人の凶器と結論した鑑定結果が誤りであるとして上告し、上訴審で無罪を主張した。

この裁判では、肋骨の軟骨部分に残された痕跡とナイフとを関連付けた鑑定を行ったロバート・ハート(Robert Hart)が、彼が用いた鑑定手法は工具痕鑑定で広く行われている手法であること、その鑑定手法で別の殺人事件を解決した例を、アメリカ法科学会誌(Journal of Forensic Sciences)の鑑定例(Case Report)として発表していると証言した。この報告は、アメリカ法科会で講演も行っており、学会の会場でも、学会誌のレターにも反論は提起されなかったことから、学会で一般に認められた手法であり、フライの基準を満たしていると主張した。フロリダ州検察は、同様の鑑定がカンザス州の最高裁で証拠採用されていること(State v. Churchill)を示した。また、ハートのアメリカ法科学会誌の報告の共著者であるラオ博士(Valerie J. Rao)は、軟骨には残された傷跡には、器具や凶器の形状が再現性高く残される場合があるとの証言を行った。

これに対して、フロリダ州の最高裁は1989年3月16日、以下のような結論を下した。

証拠となるものは、鑑定人の「自分の結論は正しい」とする証言だけである、当該鑑定人がいかに優れた鑑定人であろうと、ここで問題にすべきは鑑定人の能力ではなく、鑑定人が結論を導く上で用いた鑑定手法の妥当性である。新たな科学的証拠は、その正当性が確立された後に初めて容認すべきである。フロリダ州の過去の裁判例で、警察犬の臭気選別の鑑定結果を不適切としたラモス事件(Ramos v. State)、催眠術によって呼び起された記憶による証言を不適切としたバンディ事件(Bundy V. State)、ポリグラフの証拠能力を退けたデラップ事件(Delap v. State)の例と比較考査した。その結果、工具痕専門家によるナイフが凶器であるとする鑑定結果は、陪審員の評決に決定的な影響を与えるものであるにもかかわらず、その鑑定結果に誤りがあることを否定しえないことから、裁判を下級審に差し戻す。

ラミレス事件 差し戻し審での工具痕専門家の証言と第1審の判決

差し戻し審にあたってフロリダ州デード群検察庁は、工具痕鑑定の専門家4人に再鑑定を依頼した。その結果 4人ともハートと同一の結論に達した。この4人は、モンティー・ルッツ(Monty Lutz)、ロニー・ハーデン(Lonny Harden)、ウイリアム・コンラッド(William Conrad)及びジョン・ケイトン(Johhn Cayton)で、いずれもAFTE(銃器工具痕鑑定者学会)の会員であり、この分野の鑑定人として実績のある有名なメンバーである。

差し戻し審の第1審では、フロリダ州は6人の鑑定専門家に証言を行わせた。ロニー・ハーデンは、過去に50例ほど同種の鑑定を行ったことがあると証言し、ハートの鑑定結果を支持した。ウイリアム・コンラッドは、連続して製造された11本のナイフに、それぞれを識別可能な特徴痕跡があることを実験で確かめていると証言した。また、軟骨に残された痕跡によって凶器を特定した同種の鑑定例が存在すると証言した。ハート自身は、鑑定の経緯について証言した。

弁護側からはデール・ヌート(Dale Nute)1名のみが、これに反対する証言を行った。軟骨は、工具痕の鑑定対象として一般的に認められたものではないこと、ハートが比較した痕跡は、ナイフで切断することによって生じた痕跡ではなく、突き刺した際に生じた痕跡であり、痕跡の異同識別の信頼性が低いと主張した。さらに、客観的な基準なしに、同一工具に由来する痕跡と、異なる工具に由来する痕跡を鑑定人の主観で区別するハートの手法は科学的でないと主張した。

差し戻し第1審でもラミレスは第1級殺人で有罪とされ、死刑が宣告された。陪審員は9対3で終身刑を望んだが、裁判官は判決理由の中で、そのように罪を軽減する情状理由が見当たらないと述べた。また、ラミレスは9項目の上告理由を挙げていたが、そのいずれもが正当性を欠いているとした。

ラミレス事件 差し戻し上告審

差し戻し審の有罪判決を受けたラミレスは、州側の鑑定証人は車から発見されたナイフが殺人の凶器であり、世界中に存在する他のナイフすべてを凶器から除外できると主張しているが、その証言は正当性を欠いている。ハートの鑑定手法は、新規なものであり、その手法の信頼性が高いものであることを十分調べる必要があると主張した。

フロリダ州最高裁は、この差し戻し審の判決を差し止め、上告を認めた。そして、2001年12月20日に次のような判決を下した。

当裁判所は、被告人ジョセフ・J・ラミレスの夜間配送人殺害の第1級殺人に対する3度目の判決である差し戻し第1審における死刑判決に対する上告審の審議を行った。我々には、フロリダ州法第5条セクション3(b)(1)に基づき、この裁判の司法権限がある。我々は、有罪判決を破棄し、原判決の執行を停止する。その理由は以前示した理由と同一で、第1審はロバート・ハートのナイフの痕跡の鑑定結果を誤って認定しているからである。

さらに、次のような判決理由を提示した。

鑑定証人の証言は、その法的信頼性を確かめるフロリダ州法第90.403条の「釣り合い試験(balancing test)」を満たしていることを条件に認められるものである。一方、鑑定人の証言が、確認されていない科学理論に基づくものである場合では、不確かな証言によって陪審員を誤った結論に導いたり混乱させてしまう危険があるかどうかについて、裁判所が正確に判断することが困難であるため、「釣り合い試験」を用いることは不適当である。このような場合には、「科学的」信頼性は「法的」信頼性の上に構築されなければならない。

ラミレス事件 差し戻し上告審におけるフライ試験不合格の詳細理由

(1)ハートの鑑定手法は、本人は絶対的な信頼性のある手法と主張するが、当裁判所は信頼性が科学的に認められたものとは認めない。この分野の実質的な科学論文はヴォルフガング・ボンテ(Wolfgang Bonte)の論文のみである。ボンテの論文では、12種類の波形刃のナイフによって軟骨を傷つけた痕跡と刃の形状の関連を調べているが、それぞれのナイフの刃の形状は互いに大きく異なったものであり、細かい線条痕の対応を調べたものではなく、ハートの鑑定手法と直接関係しない。

(2)ハートの手法に関連した北米とヨーロッパの論文を調査したところ、北米の論文はすべて警察関係の技術者によるものであり、ハートの手法に関係はしているが、それらの論文が関係者から十分な評価、検討を受けたとは認められない。それに対してヨーロッパの論文は医者や大学教授が書いており、北米のものよりずっと見識の高いものであるが、ナイフによって残される痕跡の一般的評価を行っているだけで、ハートの手法による検査結果の絶対的信頼性を保証するような内容ではない。

(3)州の鑑定専門家は、この種の鑑定に際して、痕跡の比較写真は撮影しないし、撮影する意味がないと主張しているが、この種の論文では、ハート自身の論文を含めて比較写真が掲載されており、線条痕の対応状況が示されている。また、州の鑑定専門家は、鑑定に際して、痕跡の特徴や対応状況に関するメモを残さないと主張するが、ドイツの論文では痕跡の対応点を詳細に記述しており、それが痕跡の「一致」を確認する上で有用であるとしている。

(4)ハートの手法による鑑定の誤答率(エラーレイト)は示されていない。それなのに鑑定人自らは、鑑定が誤る可能性は0であると主張している。

(5)ハートの手法には客観的な科学的基準が示されていない。鑑定人自らも、主観によって判断するものであり、客観的基準は実用的でないと繰り返し主張している。ところが、彼の論文では、線条痕の一致程度によって判断する客観的基準があると記述しており、これらの間に明らかな矛盾がある。

(6)ハートの鑑定手法を保証する、明文化された保証書は存在しない。

以上の点から、ハートの手法は、この鑑定分野に携わる活動的な科学者によって受け入れられたものとは認めらないことから、フライの基準を満たしていないと結論する。ハートのナイフの痕跡の鑑定手法は、新規な鑑定手法と認め、またフライの証拠能力を認める基準を満たしていないことから、それには信頼性がなく、容認できない。この証拠が裁判で重要な役割を果たすことから、差し戻し第1審がこの証拠を認めたことは重大な誤りであり、当裁判所はその判決を破棄する。

ラミレス事件の工具痕鑑定が拒絶された理由

ラミレス事件でナイフによって肋骨の軟骨部分に残された工具痕の鑑定が、フライ試験に不合格とされ、証拠採用されなかったが、この問題点を個人的にまとめると、以下の2点に集約できる。

(1)裁判所は、鑑定結果に100%の信頼性を要求している。鑑定人は、その要求に乗って、自らの鑑定結果を過大評価した。

(2)鑑定人は、事後に検証可能な物的材料を一切残さず、自らの証言以外に鑑定結果を示す材料を持ち合わせていなかった。

ラミレス事件で、被告は無罪ではなく、死刑を免れ無期懲役になっている。工具痕鑑定がフライ試験に合格すれば、被告は死刑に処せられた可能性がある。死刑にするためには、その根拠になる証拠に絶対的な信頼性が必要であるとしたのがフロリダ州の最高裁判所の判決内容である。そのため、肋骨の軟骨部分に付けられた工具痕が、ラミレスの女友達の車から発見されたナイフによって付けられたものであることが100%確実であることを示すことが要求された。すなわち、肋骨に残された工具痕が容疑のナイフで付けられたものであり、アメリカ国内で年間100万本以上生産されている同様のナイフでは付けられることがないと完全に除外できることが要求された。鑑定人は、それに応えて合衆国内で製造された他の100万本のナイフを除外できると答えたが、裁判所はその根拠が薄弱であると結論した。

鑑定人は、この分野で多くの鑑定経験を積んでいる。鑑定経験が多いことと忙しいことはほぼ同義である。そのような鑑定人は、精細な鑑定書の作成と未処理鑑定の蓄積のジレンマに常に悩まされている。迅速処理の要求からは、簡易な鑑定書を作成することになる。ラミレス事件では、工具痕の対応関係を示す写真は1枚も残されていなかった。そのため、裁判所が鑑定結果の信頼性を検証する手段は、鑑定人の証言のみとなってしまった。

その鑑定人も、自らが書いたナイフの軟骨に対する工具痕の鑑定例を、米国の法科学学会誌へ寄稿した際には、比較写真を撮影していた。現在鑑定人の資質を評価する基準として、鑑定人の鑑定実績より投稿科学論文の数やその論文が掲載された論文誌の質を問う傾向が一段と強まっている。その影響を受けて、論文作成には時間をかけても鑑定に割く時間を減らす鑑定人が現れても不思議でない。米国では、鑑定経験がほとんどないが、論文数では圧倒的に多い大学教授の証言の方が、その分野で経験が圧倒的に多い鑑定人の証言より信頼性が高いとされる傾向が強まっている。これに対抗して自分の主張を認めさせるには、鑑定に時間を割くより論文作成に時間を割いた方が効果的である。この鑑定人は、証言では比較写真の重要性を否定し、その一方で論文に比較写真を付けるという矛盾を犯していた。

ラミレス事件とチャーチル事件

ラミレス事件で、軟骨に残されたナイフの痕跡とナイフの関連を特定した鑑定が裁判で認められた例として取り上げられたカンザス州の事件がある。チャーチル事件(State v. Churchill)と呼ばれる事件である。ラミレス事件では、この裁判例はラミレス事件の鑑定証拠を積極的に支持するものではないとされた。このチャーチル事件とラミレス事件の証拠内容はどのように異なるのであろうか。

チャーチル事件-遺体発見状況

1983年の晩夏、カンザス州レブンワース郡の深い茂みの中で、バードウオッチャーが偶然にも人骨を発見した。それは丈の長いカーテンに包んだ上で、軍用ダッフルバッグに収納されていた。ただ、人骨の一部は、ダッフルバッグの周囲の半径5mの範囲に散らばっていた。周囲の人骨を合わせると、結局発見できなかった膝から下の部分を除く一体分の骨格があることが確認された。膝から下の部分がダッフルバッグからはみ出していたため、肉食野生動物によって持ち去られた可能性も考えたが、膝や腓骨に噛み切られた跡は見られなかった。

被害者は、カーテン以外に、着衣や宝飾品等は一切身に付けていなかった。遺体の予備検査では、軟組織がわずかに非晶質化しており、最初に腐敗が始まった部分は右手の手のひら部と右肩の筋肉部と認められた。脊椎骨の大半は分離しており、腰から下の骨周辺の軟組織は、かなり分離していた。頭蓋骨はほぼ白骨化していたが、短く刈られた赤褐色の毛髪とともに頭皮は完全な状態で残されていた。腐敗した右手の人差指はチューブガーゼで覆われており、医療機関で治療したことが窺われた。予備検査の結果、遺体は若い黒人女性と推定された。現場では死因は特定できなかった。

チャーチル事件-初動捜査

警察は、遺体発見現場の周辺地域に、遺体の特徴に適合する失踪黒人女性がいないか調べた。身元特定に当たっては、チューブガーゼが最も効果的であった。被害者は失踪2日前、それは遺体発見の約10週間前であったが、右手の裂傷の治療を受けていた。医者のカルテによれば、彼女は治療を受けた日の早朝、瓶を用いた殴り合いの喧嘩をし、右手に浅い裂傷を負ったという。その翌日、家族から捜索願が出された。

さらに彼女の歯の治療痕跡(数本の抜歯と2本のアマルガム)によって、身元の補強証拠が得られた。しかし、この歯科治療カルテには、1枚のカルテに異なる2名の治療が記録がされているという変則的なもので、X線写真が存在しないという特殊事情もあり、歯科治療は身元確認の決め手とならなかった。そこで、遺骨をカンザス大学に持ち込み、詳細な検査を行うことになった。

チャーチル事件-カンザス大学での被害者特定

カンザス大学における遺留骨の確認及び予備検査の過程で、左右の第5肋骨の中央の接合部が約20mmにわたって、激しい損傷が認められた。そこで、この部分を周辺から切除し、清浄にして観察することになった。残余の骨格は、カンザス大学の自然史博物館に持ち込んでアンモニアを加えた沸騰水で煮詰めて、軟組織を骨から分離させた。煮沸を行う前に、一切の清浄作業は行わなかった。

清浄にされた骨格に、通常の人類学的検査手法により、年齢と性別の推定を行った。骨盤は明らかに女性のもので、長骨の骨端閉鎖と恥骨結合の形態から、年齢は19歳と推定された。骨格から計算された身長は、被害者と考えられた女性の身長とほぼ一致した。

更なる遺骨の検査によって、被害者の身元が確実となった。被害者はリューマチ性心臓病を患っており、殺害前10年間の一連のX線写真が地元の病院から入手できた。最後に撮影されたX線写真から、脊椎の異常が2か所に確認された。胸部X線写真から、第3から第6頸椎に背棘があることが確認され、この特殊な所見は遺骨からも確認された。さらに、第9から第11胸椎の横突起の大きさと形状に著しい左右非対称が認められた。この骨格異常の特徴と、チューブガーゼによる治療形跡から、被害者の特定に至った。

チャーチル事件-工具痕証拠

ラミレス事件の裁判に際して、検察側は肋骨の軟骨部位に残されたナイフによる工具痕を用いた鑑定例としてチャーチル事件を取り上げた。しかし、チャーチル事件の工具痕鑑定事例は、肋骨の軟骨部位に残されたナイフによる工具痕を検査した点を除くと、ラミレス事件とはかなり異なった事例であった。最大の相違点として、犯行時に使用されたナイフは結局発見されず、鑑定事項は、ナイフの形状の推定と、殺害時にナイフを突き立てた方向や刺さった深さの推定及び、ナイフの刺創が心臓に達したことから致命傷となったことの推定等であった。

ナイフが軟骨に残す線条痕と容疑ナイフとの関連を調べるという、ラミレス事件の鑑定で問題となったものとは一切関連していなかった。ラミレス事件で、この鑑定事例及びその学会誌への報告が関連証拠として認められなかったことは当然であろう。

チャーチル事件の鑑定結果では、凶器が刃幅40mmあるいはそれを少し超える両刃のナイフで、刃の長さが200mm以上、刃の断面の厚みが1mm以下のものという漠然とした結論しか得られていない。凶器を1本のナイフに特定する鑑定とは、その結果の重要性にかなりの開きがある。

この事件は、一部白骨化している死体であっても、その身元が分かれば犯罪捜査上きわめて有効であることを示している。また、特殊な条件が重なっていたことが身元確認の精度を高めたこともよくわかる事例である。同様の鑑定操作を施しても、特殊性のない平凡な例では絞り込みが難しくなる。

ナイフの痕跡の異同識別でも、ナイフに特殊な形状の刃こぼれがある場合には、100万本のナイフを除外して1本のナイフを特定することも可能であろう。ラミレス事件では、軟骨に残された線条痕と容疑のナイフを用いて作成された対照工具痕との間の比較対照写真が残されておらず、その痕跡の特殊性の確認のしようがなかった点が最後まで鑑定の弱点として残された。

釣り合い試験(The Balancing Test)-証拠の法的信頼性の試験

フロリダ州の証拠法で、証拠が法的に容認されるか否かを確認する試験法。

鑑定証人の証言を含め、すべての証拠は、その妥当性と信頼性を求める釣り合い試験の要求を満たしていなければならない。

釣り合い試験では、関連証拠が不公平な偏見を持たせることがないか、問題を取り違えさせることがないか、陪審員を誤った方向に導かせることがないかを調べ、また、意味のない重複証拠を掲げていないかを調べる。これらの問題点が見出された場合には、関連証拠は無効とされる。

関連証拠とは重要な事実を証明あるいは否定する証明力をもった物的証拠である。

鑑定証人は、その科学的、技術的あるいは特殊な知識に基づいて、証拠の意味を理解したり、問題となっている事実を決定することによって、裁判を支援することができる。鑑定証人は、その知識、技術、経験、訓練や教育によって、証言を行う資格があると認定される場合にのみ、意見の形で証言可能である。

フライ試験(The Frye Test)-ラミレス事件で用いられた科学的信頼性の試験

フロリダ州は、科学的証拠の証拠能力の判断に、以下の理由からフライ試験を用いている。

フライ試験の意味するところは、法廷は実験室ではなく、科学的実験を行う場所ではないということである。科学界が信頼性が低いとみなしている手法や検査法であるならば、それは法廷で用いることができる信頼性はないと考えるべきである。連邦最高裁が別の基準(ドーバート試験)を用いること決定しようが、わがフロリダ州はフライ試験を使い続ける。

フライ試験を用いるにあたって、裁判所はその分野の専門家の意見の票を数えるつもりはなく、裁判所自らが、専門家の証言、法律関係の出版物、裁判官の意見をもとに、それが科学的に十分検証された手法であるか否か、科学界で受容された手法であるか否かを判断する。裁判所は証拠能力を認めるにあたって、その手法が、従来から科学的手法として認められていたものと同等とみなせる場合にのみ認定する。科学的証拠の信頼性を厳密に判断しなければならない理由は、陪審員は科学的証拠に基づく結論を有効なものと考えてしまうからである。

フライ試験を行うにあたって、裁判所は、その証拠が基づく科学的原理と検査手法の両者が一般に認められたものであるか否かを見定める責務を負う。そして、その問いに答える全責任を裁判官が負う。フライの基準によって証拠能力を判断する場合には、圧倒的多数の原則が適用されるべきである。

ラミレス事件でフロリダ州最高裁は、鑑定証人は、大胆にも自らの手法を科学界で広く認められた手法と主張するが、その手法の検証は不十分であり、広く認められていることを証明しているとは思えないとして、フライ試験不合格を宣告した。


3段階のフライ試験

 科学的証拠の証拠能力を検証するフライテストは、その検証内容からフライテスト1、フライテスト2及びフライテスト3の3段階に分けることができる。

フライテスト1 [基本法則の検証]
 科学的証拠の解析手法が立脚する基本的な科学法則の合理性を検証する。 

フライテスト2 [鑑定手法の検証]
 証拠物等の解析で用いられた手法が、合理性が検証された科学法則を正しく適用したものであるかを検証する。

フライテスト3 [鑑定人が用いた鑑定手法と鑑定能力の検証]
 証拠物等の解析に際し、合理性が検証された手法を、鑑定人が正確に用いて解析したかどうかを検証する。


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